政府がイラク特措法の1年延長を検討。ブッシュのカオを立てるのに、そこまでやるとは。(哲




2007ソスN1ソスソス13ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1312007

 冬銀河昼間は何もなき山河

                           今橋眞理子

句は兼題句に多い、とよく言われる。兼題として前もって出されると、とにかく集中して向き合うことになるからだろうか。確かに自らを省みても、日々好きに作っている句は作りやすい季題に偏りがちであり、歳時記を読んだつもりでも、兼題として出されて初めて意識する季題もある。この句は、「冬の星」という兼題で作られた一句である。作者の母方の故郷は徳島の四国山地の山の中、夏休みは吉野川で遊び、冬は夜空を眺めるのが楽しみだったという。冬の夜空は明るい星も多く、その光は凍てながら白く冴えている。何光年もの彼方にある星々、今この瞬間に実際に存在している星はこの中にいくつあるのか、そんなことを考えながら引き込まれるように星を見上げていたことだろう。澄みきった山里の漆黒の空に、雲のように細かい星影を流す冬銀河の記憶。「昼間は何もなき」の中七が冬銀河と呼応して、自然のままの山里への郷愁を深めている。「あの時の手の届きそうな夜空が、私にとっての冬の星なのだ思う」という今橋さんの言葉を聞いて、ただ冬の夜空をぼ〜っと眺めて星を探すばかりではだめなのだ、とあらためて感じると共に、上五を「冬の星」ではなく、敢えて「冬銀河」としたことで、情景がくっきりと具体的になっていることにも感じ入った。兼題の力、兼題への取り組み方を考えさせられた一句である。「野分会東京例会」(2006年12月17日)出句五句のうち。(今井肖子)


January 1212007

 奥歯あり喉あり冬の陸奥の闇

                           高野ムツオ

安時代に征夷大将軍坂上田村麻呂に攻められた東国の夷(えびす)の首領悪路王は、岩手県の平泉から厳美渓に通じる途上にある達谷窟(たっこくのいわや)に籠って最後まで屈せずに戦い遂に討たれる。悪路王などというおどろおどろしい名を付けたのも錦の御旗を掲げた側。本当は、気は優しくて力持ちの美男子だったかも知れぬ。ドラマの中のキムタクやブラピのように。皇軍の名のもとにマイノリティを「征伐」していった歴史の暗部が陸奥(みちのく)には充満しているのだ。夷やアイヌやインディアンや、その他多くの被征服者の苦しみや哀しみを、「大東亜戦争」に敗れた僕等日本人はようやく痛切に感じることができるようになったのではないか。それまでは世界の「征夷大将軍」たらんとしていたのに。権力の合法的暴力や大国の偽善的エゴは今も世界に満ち満ちている。世界中の「みちのく」の冬の闇の中で、顔を失った口の中の奥歯が呪詛を呟き、頭を吹き飛ばされた喉が今日も叫んでいる。「別冊俳句・現代秀句選集」(1998・角川書店)所載。(今井 聖)


January 1112007

 主婦の手籠に醤油泡立つ寒夕焼

                           田川飛旅子

学生の頃、茶色とクリーム色に編み分けられた買物籠を手にお使いに出された。台所の打ち釘に掛けられていた買物籠が姿を消したのはいつごろだろう。八百屋や肉屋を回らなくとも大抵のものはスーパーで買えるようになり、白いポリ袋が買物籠にとって代わった。昭和30年代の主婦達は夕方近くなると、くの字に曲げた肘に籠を提げ、その日の献立に必要なものだけを買いに出た。その籠の中に重い醤油瓶が斜めに入っている。すぐ暮れてしまう寒夕焼の家路を急ぐ主婦。彼女が歩く振動で手籠が揺れるたび、黒い液体の上部が白く泡立つ。何気ない夕暮れの景なのだが、籠の中の醤油の波立ちが強く印象づけられる。調味料を主題にした作品としてよく引用される葛原妙子の短歌に「晩夏光おとろえし夕 酢は立てり一本の瓶の中にて」(『葡萄木立』所収)がある。妥協を許さぬそのすっぱさで、黄色味を帯びた酢が自らの意思で瓶の中に立っているかのようだ。液体に主体を置いた見方で、酢が普段使いの調味料とは違う表情で現れてくる。飛旅子(ひりょし)の場合は、手籠の中の醤油の泡立ちに焦点を絞り込んだことで、静止画像ではなく映画のワンシーンのような動きが感じられる。細部の生々しい描写から寒夕焼を急ぐ主婦の情景全体をリアルに立ち上がらせているのだ。『現代俳句全集』第六巻(1959)所収。(三宅やよい)




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