今年も増俳は増殖します。それにつけても、良い社会になる兆しだけでも欲しいですね。(哲




2007ソスN1ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 0112007

 校舎なき校歌の山や初景色

                           七沢実雄

日に変わらぬ景色ではあるが、元日に見る景色(初景色)はどこか違う。新しい年がはじまったという意識、そこから来る清新の気が、見慣れた景色を新しく塗り替えるからとでも言うべきか。眺めているうちに、作者は遠くの山が、いまは廃校となってしまった学校の校歌に詠み込まれていたことを思い出している。つづいて、一緒に学び遊んだ友人たちや先生とのことどもを懐かしんでもいるのだろう。自分はずっとこの過疎の地で暮してきたが、多くの友だちは都会に出ていった。音信不通の友人も少なくない。「みんな、元気にしてるかな」。私の通った故郷の小学校も中学も廃校になってしまっている。小学校は明治期にできた伝統のある学校だったけれど、過疎には耐えきれず、ついに無くなったことを知らされたときにはショックだった。もはや校歌もよくは覚えていないが、山の名前はあったのかなかったのか。あったとすれば元日の今日、故郷の友人の誰かは、作者と同じ心境でその山なみを見ているかもしれない。近年の新しい校歌は、土地の名や山や川を詠み込むことを嫌うようだが、それだけ自然との距離が遠くなった証左だろう。啄木ではないが、故郷の山河には圧倒的な存在感がある。貧しい時代に貧しい暮らしを余儀無くされた土地だったけれど、私はそこで育ったことを幸せに思う。故郷の地の諸君、明けましておめでとう。今年も元気でな。『現代俳句歳時記・冬』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


December 31122006

 年こしや余り惜しさに出てありく

                           立花北枝

うとう2006年も最後の日になりました。首相が変わり、北朝鮮が核を持ち、知事が次々と逮捕され、WBCで日本が優勝しと、さまざまなことがあった2006年も、もうすぐ終了します。やっと慣れてきた2006という数字も、あまり使われなくなり、目にあたらしい2007という文字を、明日からは書くことになるわけです。掲句、その年が終わるのが惜しくて、外を歩きまわってしまうという意味です。江戸時代に金沢の地で刀研ぎ商という職を持った北枝も、大晦日はいつものように朝から、刀に向かっていたのでしょうか。時刻が進むうちに、目は刀の光へ吸い込まれ、見つめる先は、自分という生命のあり方の方へ向かっていったものと思われます。「大切な時」、というものに突き動かされ、急に立ち上がって履物を履き、戸を開けて、ともかくも外の通りに出てきたのでしょう。いつもと違わない町並みに、けれど人々は、武士も町人も、男も女も、確かにこの日の厳粛さを身にまとって通り過ぎて行きます。時の区切り目を迎えるということがみな、切なくもあり、うれしくもあるのです。その気持ちは、平成の世になってもまったく変わらず、句にこめられた生命の厳かな焦りは、今にもしっかりと伝わってきます。残るはあと一日です。年が明ければ、たっぷりとした時間が待っていることはわかってはいても、残されたこの一日を、どのように大切に過ごすかを、わたしも考えてみたいと思います。では、2007年がみなさまにとって、とても良いものになりますように。『角川俳句大歳時記 冬』(角川書店・2006)所載。(松下育男)


December 30122006

 人々の中に我あり年忘

                           清崎敏郎

較的広い、いわゆる居酒屋のような店で飲んでいると、初めは、自分も含めてそこに居合わせた一人一人をくっきり認識しているのだが、酔いがまわって来るにつれ、すべてが独特のざわめきの中に埋没してくる。二度と同じ空間や時間を共有することはない多くの愛すべき人々は、言葉は交わさなくてもお互いに不思議な居心地の良さを作り出すのである。ただの酔っぱらいの集団でしょ、と言われれば否定できないし、静かなところでゆっくり飲むのが好きという向きもあろうが、このざわざわが妙に落ち着くのだ。作者がお酒を好まれたときいて、この句を読んだ時、そんな空間に身を置いて、ふっと我にかえってしみじみとしながらも、ひとりではない自分を感じている、そんな気がした。年忘(としわすれ)は忘年会のことだが、もとは家族や親戚、友人と、年末の慰労をするささやかなものをいったようである。歳時記を見ると、会社などの大人数のものを忘年会と呼び、千原草之(そうし)に〈立ってゐる人が忘年会幹事〉と、いかにも賑やかな雰囲気の一句も見られる。この句も、あるいは一門の納め句座の後の酒宴で、人々とは、共に切磋琢磨した句友なのかもしれない。ただ、年惜しむ、や、年の暮、ではないところで、つい酒飲み的鑑賞になってしまった。御用納めもすんで晦日の今日、連日の年忘にお疲れ気味、という方も多い頃合いか。しかしもう二つ寝れば今度はお正月、皆さま御大切に。「ホトトギス新歳時記」(1996・三省堂)所載。(今井肖子)




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