2006N1229句(前日までの二句を含む)

December 29122006

 大寒や転びて諸手つく悲しさ

                           西東三鬼

十年ほど前の「俳句研究」で西東三鬼の特集があって、そこで三鬼の代表句一句をあげよという欄に加藤楸邨がこの句を選んでいた。ちなみに山口誓子選の「三鬼の一句」は「薄氷の裏を舐めては金魚沈む」だった。「人間」詠の楸邨、「写生構成」の誓子。二人の俳人としての特徴も選句に現れていて興味深い。一読、三鬼らしくない句である。三鬼作品は、斬新、モダニズム、二物衝撃が特徴。逆の言い方で言えば、奇矯、偽悪、近代詩模倣とでも言えようか。その三鬼が自らの格好悪い瞬間を自嘲気味に詠う。往来で転んで身を衆目にさらしたときの気恥ずかしさと惨めさ。きらきらした言葉のイメージの躍動とは正反対に、人間の愚かさのようなものが示される。三鬼門の俳人三橋敏雄に「雪ふればころんで双手つきにけり」がある。どこかの雑誌の依頼で、師から受け継ぐものの見方があるというような内容の文章を書き、これら二句を並べて鑑賞したら、早速敏雄さんから葉書が届いた。「あの句は僕の方が先です」とあった。作家意識をきちんと持った上で「師事」している一個の俳人の矜持を見た思いであった。『夜の桃』(1948)所収。(今井 聖)


December 28122006

 門松や例のもぐらの穴のそば

                           瀧井孝作

日で仕事を納め、買物に家の掃除に本格的な年用意を始められる方も多いだろう。門松は神が一時的に宿る依代として左に雄松、右に雌松を飾るのだとか。物の本によると29日に飾るのは「二重苦」「苦を待つ」に通じ、31日は一日飾りと言って忌み嫌われるとある。お雑煮と同様、各地で竹の切り方や飾りのあつらえ方に違いがあるのだろうか。広島の田舎では裏山から切り出した竹を斜めに切り、裏白と庭の南天、松の枝をあしらった自家製の門松を門の両脇に括りつけていた。生まれ育った神戸ではそんな松飾りとも縁遠く、ホテルやデパートに据え置き式の門松を見るぐらいだった。あれは、植木屋さんに作ってもらうのか。終ったあとはどう処分されているのか、今でも不思議だ。この句の場合は門飾りではなく、据え置き式の門松だろう。「例の」とあるからもぐら穴は一家に馴染みのもの。騒動を起こしたもぐらをむしろ懐かしがっているようにも思える。主の消えた穴が門口に残っているのか、穴もろとも塞いでしまった跡なのか。どちらにしてもこのあたりと記憶に残る場所に見当をつけ、門松を置いている。今年一年の出来事を振り返り、家族総出で新しい年の準備をする気分が横溢した句のように思える。『浮寝鳥』(1943)所収。(三宅やよい)


December 27122006

 丸髷で帰る女房に除夜の鐘

                           古今亭志ん生

語家のなかには俳句をやる人が何人もいる。なかでも現・入船亭扇橋(俳号:光石)は高校時代から「馬酔木」の例会に出ていた。すでに秋桜子の『季語集』に二句採られているほどである。川柳を楽しむ落語家も少なくない。名人・志ん生もその一人だった。掲出句はご存知「飲む・打つ・買う」はもちろん、赤貧洗うがごとき波瀾万丈の人生で、妻りんさんに多大な苦労をかけっぱなしだった志ん生の句として読むと、なかなか味わい深いものがある。昔の大晦日は、特に主婦がてんてこ舞いの忙しさに振りまわされた。この「女房」を妻りんさんとして読めば、大晦日は借金取りに追いまくられ、金策に東奔西走し、さらに大掃除など、とても自分の髪などかまってはいられない。まさに落語の「掛取り」や「にらみ返し」「尻餅」を地でいくようなあんばいである。どうやら一段落ついたところでホッとして、ようやく髪結いへ。丸髷をしゃんと結って帰る頃には、もう除夜の鐘が鳴り出す。まだ売れていない亭主は手持ち無沙汰で、それでも女房が工面してくれた酒を、あまり冴えない風情でチビチビやりながら女房の帰りを待つともなく待っているのだろう。丸髷が辛うじて女房を救っている。この句は必ずしも志ん生夫婦のこととしなくてもいい。かつての一般庶民の大晦日は、たいていそんなものだったと思う。鴉カァーで一夜明ければ元朝。亭主は「松の内わが女房にちょっと惚れ」などとヤニさがっていればいいのだから、いい気なものだ。それでも落語家は元日からは寄席の掛けもちで、女房ともども目のまわるような忙しさがはじまる。年末年始を家族そろって海外で・・・・なんて、ユメのまたユメの時代のものがたり。「文藝別冊〈総特集〉古今亭志ん生」(2006)所載。(八木忠栄)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます