2006N1228句(前日までの二句を含む)

December 28122006

 門松や例のもぐらの穴のそば

                           瀧井孝作

日で仕事を納め、買物に家の掃除に本格的な年用意を始められる方も多いだろう。門松は神が一時的に宿る依代として左に雄松、右に雌松を飾るのだとか。物の本によると29日に飾るのは「二重苦」「苦を待つ」に通じ、31日は一日飾りと言って忌み嫌われるとある。お雑煮と同様、各地で竹の切り方や飾りのあつらえ方に違いがあるのだろうか。広島の田舎では裏山から切り出した竹を斜めに切り、裏白と庭の南天、松の枝をあしらった自家製の門松を門の両脇に括りつけていた。生まれ育った神戸ではそんな松飾りとも縁遠く、ホテルやデパートに据え置き式の門松を見るぐらいだった。あれは、植木屋さんに作ってもらうのか。終ったあとはどう処分されているのか、今でも不思議だ。この句の場合は門飾りではなく、据え置き式の門松だろう。「例の」とあるからもぐら穴は一家に馴染みのもの。騒動を起こしたもぐらをむしろ懐かしがっているようにも思える。主の消えた穴が門口に残っているのか、穴もろとも塞いでしまった跡なのか。どちらにしてもこのあたりと記憶に残る場所に見当をつけ、門松を置いている。今年一年の出来事を振り返り、家族総出で新しい年の準備をする気分が横溢した句のように思える。『浮寝鳥』(1943)所収。(三宅やよい)


December 27122006

 丸髷で帰る女房に除夜の鐘

                           古今亭志ん生

語家のなかには俳句をやる人が何人もいる。なかでも現・入船亭扇橋(俳号:光石)は高校時代から「馬酔木」の例会に出ていた。すでに秋桜子の『季語集』に二句採られているほどである。川柳を楽しむ落語家も少なくない。名人・志ん生もその一人だった。掲出句はご存知「飲む・打つ・買う」はもちろん、赤貧洗うがごとき波瀾万丈の人生で、妻りんさんに多大な苦労をかけっぱなしだった志ん生の句として読むと、なかなか味わい深いものがある。昔の大晦日は、特に主婦がてんてこ舞いの忙しさに振りまわされた。この「女房」を妻りんさんとして読めば、大晦日は借金取りに追いまくられ、金策に東奔西走し、さらに大掃除など、とても自分の髪などかまってはいられない。まさに落語の「掛取り」や「にらみ返し」「尻餅」を地でいくようなあんばいである。どうやら一段落ついたところでホッとして、ようやく髪結いへ。丸髷をしゃんと結って帰る頃には、もう除夜の鐘が鳴り出す。まだ売れていない亭主は手持ち無沙汰で、それでも女房が工面してくれた酒を、あまり冴えない風情でチビチビやりながら女房の帰りを待つともなく待っているのだろう。丸髷が辛うじて女房を救っている。この句は必ずしも志ん生夫婦のこととしなくてもいい。かつての一般庶民の大晦日は、たいていそんなものだったと思う。鴉カァーで一夜明ければ元朝。亭主は「松の内わが女房にちょっと惚れ」などとヤニさがっていればいいのだから、いい気なものだ。それでも落語家は元日からは寄席の掛けもちで、女房ともども目のまわるような忙しさがはじまる。年末年始を家族そろって海外で・・・・なんて、ユメのまたユメの時代のものがたり。「文藝別冊〈総特集〉古今亭志ん生」(2006)所載。(八木忠栄)


December 26122006

 雪原の黒きが水の湧くところ

                           三上冬華

面の銀世界にぽつんと黒。一読ののち、はっとするのは、黒が闇や死を連想させるためか、おおむね凶事に傾くものが多いなかで、清らかな湧き水と結びつける違和感からであろう。しかし、銀世界のなかでは、黒点こそがこんこんと水が湧く場所なのだ。黒は雪を分けた大地の色だ。黒は凍結された空気のなかで、一点の瑞々しい命であり、大地があたたかく呼吸している場所なのである。何年か前になるが、年末年始を長野県栄村で過ごした。平家の谷と異名をとる秘境である。その谷底の村から見る景色は、まさに白い壷の底から見上げるような白一色の世界であった。色彩の一切許されないような雪原のなかで、一本の川の流れだけが黒々と輝いていた。雪原に記される動物たちの足跡は、水を飲むための川へと集まり、唐突に途絶えているものは、そこから飛び立った鳥たちであろう。鳥たちが落とす影など、普段意識したこともなかったが、雪の上ではあからさまにその姿を映していた。銀世界では、黒こそが命そのものとなり、豊かに刻印されているのであった。『松前帰る』(2006)所収。(土肥あき子)




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