2006N128句(前日までの二句を含む)

December 08122006

 漂へる手袋のある運河かな

                           高野素十

い、おい、ちょっと待てよと虚子は慌てたに違いない。「素十よ、確かに俺は写せとは言ったけれど」と。虚子が「ホトトギス」内の主観派粛清の構想を練ったのは、飯田蛇笏や渡辺水巴、前田普羅などの初期の中核が、主観へのこだわりを持っていたから。見せしめに粛清され破門となったのは主観派原田濱人。そして、虚子は素十の作品を範として示して、「ホトトギス」の傾向かくあるべしと号令を発する。標語「客観写生」の始まりである。素十はいわば虚子学級の学級委員長として指名されたのである。心底虚子先生を尊敬して止まない素十は、言われるままに主観を入れずただひたすら写しに写した。その結果こういう句が生まれてきたのである。「客観写生」に対する素十の理解は、素材を選ぶことなく眼前の事物を写すこと。その結果、従来の俳句的情緒から抜けた同時代の感動が映し出される。たとえばこの句のように。虚子が考えていた「客観写生」はそれとは違う。従来の俳句の「侘び、寂び」観の中での写生。虚子のテーマは写すことそのものではなく、類型的情緒の固定化だった。運河に浮く手袋のどこに俳句的な情緒があるのか。虚子は自分の提唱した「客観写生」が、その言葉通り実行された結果、自分の意図と違った得体の知れない「近代」を映し出したことに狼狽する。モダニズムが必ずしも一般性を獲得しないことを虚子は知っていたから。虚子は慌てて「客観写生」を軌道修正し、「花鳥諷詠」と言い改める。「写生」が、本意と称する類型的情緒と同一視されていく歴史がこの時点から始まるのである。『素十全集』(1971)所収。(今井 聖)


December 07122006

 雪降ってコーヒー組と紅茶組

                           中原幸子

いと思ったら、この街ではめったにお目にかかれない雪が舞いはじめた。外の情景をさっと描写したところで視点は喫茶店の内側へと切り替る。どっと入ってきてようやく席に落ち着いた一行。注文をとりに来たウェイトレスを前に幹事役の人が「コーヒーの人」「紅茶の人」と賑やかに声をかけ、手を挙げてもらっている。たくさん人が集まればよく見かける光景であるが、いい大人が「はい、はい」と、素直に手を挙げる様子もどこか子供じみて可愛げがある。幹事のとっさの問いかけであったが、この時は他の注文もなく、きれいにコーヒー組と紅茶組に分かれたのだろう。そんな偶然をきっかけにちょっと堅かった座の雰囲気も自然にほぐれる。「そういえば、あなた朝食はごはんそれともパン?」「猫が好き?犬が好き?」よく話題にのぼる二分法についてコーヒー組と紅茶組との間で会話が弾み始めたかもしれない。暖かな飲物もゆきわたり、ほっと落ち着いた気分で窓に眼をやれば雪はちらちらと降り続いている。白く細やかな雪が楽しげな室内の空気をいっそう引き立てるようである。幸子の句には都会で暮らす日常のなにげない出来事が季節を感受する喜びとともに生き生きと書きとめられている。それは今の暮しの原風景であるように思える。『以上、西陣から』(2006)所収。(三宅やよい)


December 06122006

 湯殿より人死にながら山を見る

                           吉岡 実

語のない句だが、句柄から春でも夏でもないことは読みとれる。秋から冬へかけての時季と受けとりたい。土方巽や大野一雄に敬愛され、暗黒舞踏に対して一家言もっていた吉岡実は、北方舞踏派の公演を山形へ観に出かけたことがあった。その折の羽黒山参拝をテーマに「あまがつ頌」という詩を書いた。掲出句はそのなかに挿入された俳句七句のうちの一句。「湯殿」は風呂であるが、ここでは湯殿山のことでもある。風呂で裸になった人が山を見上げている、その放心して無防備な姿は、死にゆく者のような不吉なふぜいと見ることもできるだろう。あるいは湯殿山(1500M)にいて、そこに連なる月山(1984M)を見上げている、どこやら不吉な図でもある。月山をはじめとして、ミイラ仏の多い一帯である。(私の祖父はよく「ナムアミダブツ・・・」と呟きながら湯船に沈んでいた。)「あまがつ頌」は詩集『サフラン摘み』(青土社・1976)に収められた。親しかった高柳重信を訪ねた吉岡実が、出来たばかりのこの詩集を渡すと一瞥して「自分には一寸つくれない奇妙な句だと感じ入ったように言った」と後に吉岡実は書き、同時に「芭蕉の『語られぬ湯殿に濡す袂かな』に挑戦を試みた」とも書いている。芭蕉の句を十分に凌駕しているではないか。掲出句と一緒に収められた他の句、「干葉汁すする歯黒の童女かな」は「羽黒」、「葛山麓糞袋もたぬかかし達」は「月山」、「雪おんな出刃山刀を隠したり」は「出羽」、「喪神川畜生舟を沈めける」は「最上川」を、それぞれ言い換えて冴えわたっている。いずれも身の引き締まるすさまじさ! 吉岡実は若い頃に俳句や短歌も実作していただけでなく、生涯にわたってそれぞれにきわめて強い関心をもちつづけた。句集『奴草』(2003)所収。(八木忠栄)




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