2006年12月7日の句(前日までの二句を含む)

December 07122006

 雪降ってコーヒー組と紅茶組

                           中原幸子

いと思ったら、この街ではめったにお目にかかれない雪が舞いはじめた。外の情景をさっと描写したところで視点は喫茶店の内側へと切り替る。どっと入ってきてようやく席に落ち着いた一行。注文をとりに来たウェイトレスを前に幹事役の人が「コーヒーの人」「紅茶の人」と賑やかに声をかけ、手を挙げてもらっている。たくさん人が集まればよく見かける光景であるが、いい大人が「はい、はい」と、素直に手を挙げる様子もどこか子供じみて可愛げがある。幹事のとっさの問いかけであったが、この時は他の注文もなく、きれいにコーヒー組と紅茶組に分かれたのだろう。そんな偶然をきっかけにちょっと堅かった座の雰囲気も自然にほぐれる。「そういえば、あなた朝食はごはんそれともパン?」「猫が好き?犬が好き?」よく話題にのぼる二分法についてコーヒー組と紅茶組との間で会話が弾み始めたかもしれない。暖かな飲物もゆきわたり、ほっと落ち着いた気分で窓に眼をやれば雪はちらちらと降り続いている。白く細やかな雪が楽しげな室内の空気をいっそう引き立てるようである。幸子の句には都会で暮らす日常のなにげない出来事が季節を感受する喜びとともに生き生きと書きとめられている。それは今の暮しの原風景であるように思える。『以上、西陣から』(2006)所収。(三宅やよい)


December 06122006

 湯殿より人死にながら山を見る

                           吉岡 実

語のない句だが、句柄から春でも夏でもないことは読みとれる。秋から冬へかけての時季と受けとりたい。土方巽や大野一雄に敬愛され、暗黒舞踏に対して一家言もっていた吉岡実は、北方舞踏派の公演を山形へ観に出かけたことがあった。その折の羽黒山参拝をテーマに「あまがつ頌」という詩を書いた。掲出句はそのなかに挿入された俳句七句のうちの一句。「湯殿」は風呂であるが、ここでは湯殿山のことでもある。風呂で裸になった人が山を見上げている、その放心して無防備な姿は、死にゆく者のような不吉なふぜいと見ることもできるだろう。あるいは湯殿山(1500M)にいて、そこに連なる月山(1984M)を見上げている、どこやら不吉な図でもある。月山をはじめとして、ミイラ仏の多い一帯である。(私の祖父はよく「ナムアミダブツ・・・」と呟きながら湯船に沈んでいた。)「あまがつ頌」は詩集『サフラン摘み』(青土社・1976)に収められた。親しかった高柳重信を訪ねた吉岡実が、出来たばかりのこの詩集を渡すと一瞥して「自分には一寸つくれない奇妙な句だと感じ入ったように言った」と後に吉岡実は書き、同時に「芭蕉の『語られぬ湯殿に濡す袂かな』に挑戦を試みた」とも書いている。芭蕉の句を十分に凌駕しているではないか。掲出句と一緒に収められた他の句、「干葉汁すする歯黒の童女かな」は「羽黒」、「葛山麓糞袋もたぬかかし達」は「月山」、「雪おんな出刃山刀を隠したり」は「出羽」、「喪神川畜生舟を沈めける」は「最上川」を、それぞれ言い換えて冴えわたっている。いずれも身の引き締まるすさまじさ! 吉岡実は若い頃に俳句や短歌も実作していただけでなく、生涯にわたってそれぞれにきわめて強い関心をもちつづけた。句集『奴草』(2003)所収。(八木忠栄)


December 05122006

 寒禽の落としてゆきしものの湯気

                           上野龍子

え込みも日に日に本格的となる今日この頃。寒禽とは、切るような冷たい冬の空を舞う鳥たちのことである。もちろん身体の大きな鷲や鷹なども含まれるが、掲句にはヒヨドリやムクドリなど、民家の庭先に訪れる身近な鳥の姿を思う。「落としてゆきしもの」とは、もちろん尾籠なるフンのことであるが、少しも汚らしさがないのは、そこに生きとし生けるものの体温がそのまま「湯気」としてあらわれているからであろう。また、落としてゆくもののなかに、運搬された新天地で芽吹きの時を待つ種子などが含まれることも考え、その湯気にはさまざまないのちのあたたかみが詰まっているようにも思う。厳しい自然のルールのなかの死は、穏やかな老衰とは無縁で、餓死か、天敵に捕われるかのどちらかだと聞く。また、野鳥は弱っていると見られたら最後、真っ先に狙われることもあり、死の直前まで決して弱々しい姿を見せない。このため、死は驚くほどに唐突に訪れるのだという。以前、目の前で枝から落ちた小鳥を助けようと手に乗せたが、みるみる羽ばたきは弱まり、黒いビーズのような瞳に薄い膜がかかり、あっという間に亡くなってしまった。なにひとつ手出しすることを拒むような死だった。冬を乗り越えることも大きな命の節目であろう。生きろ生きろ、と冬の鳥や獣たちに力いっぱいエールを送る。『中洲』(2006)所収。(土肥あき子)




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