2006N123句(前日までの二句を含む)

December 03122006

 暦売る家あり奈良の町はづれ

                           五十嵐播水

レンダーというものは、今でこそ10月くらいからデパートでも書店でも売っています。また、酒店や会社からただでもらう機会もすくなくありません。しかし昔は、「暦屋」なるものがあって、特定の場所で売られていたようです。たかが印刷物ですが、やはり印刷された数字の奥には、それぞれの日々がつながっており、人の生活にはなくてはならないものです。「古暦」といえば、過去の時間がたっぷり詰め込まれた思い出の集積です。それはそれで捨てがたいものがあり、見ていて飽きないものですが、この句が詠んでいるのは、もちろん「初暦」です。まだなにも書かれていない、まっさらな日々の一束(ひとたば)です。暦を売る「家」とあり、「店」とはいっていないところを見ると、大げさに店を構えているのではなく、片隅で、数冊の「日々」を商っているのでしょうか。奈良の町はづれに、古い時代を身に纏(まと)ったようにして暦を商う家があります。「奈良」という地名が、悠久の時の流れを感じさせ、その時の流れから、一年分を切り取って、店先で売り出しているようです。句の端から端までを、きれいに「時」が貫いています。『合本俳句歳時記 第三版』(角川書店)所載。(松下育男)


December 02122006

 人ゐれば人の顔して寒鴉

                           浅利恵子

朝もお隣のアンテナに鴉が止まっている。都会でも、都会だからか、鴉を見かけない日はない。したがって、ただ鴉といっても季節感は乏しく、鴉の巣が春季、鴉の子が夏季、初鴉は正月といった具合である。寒鴉は冬季、寒中の鴉のこと。河鍋暁斉の「枯木寒鴉図(こぼくかんあず)」なる絵は、枯れ枝の先にとまっている一羽の鴉の孤高な姿を描いて厳かな雰囲気さえ感じられるが、この句の寒鴉はどこか親しい。東京あたりで見られるのは、おでこの出っ張った嘴の太いハシブトガラスが大半だが、農村地帯、低山地に多く見られるのはハシボソガラス、細く尖った嘴を持ち顔もすっきりした印象である。浅利恵子さんは秋田の方なので、この場合の鴉はハシボソだろう。「朝、ごみを出しに行ったらちょこんと待っていたのよ」とお聞きした記憶がある、二年前だ。あ、カラス、と思ったその一瞬、またゴミを散らかしに来たとばかりに追い払うことなく、にっこり笑って鴉と少しの間話していたのかもしれない。賢く抜け目のない様子を、人ゐれば、それでもどこか憎めない親しさを、人の顔して、と、いかにも鴉が見える一句となった。厳しい冬を共に生きるものへのあたたかな眼差しも感じられるこの句は、平成十六年第三回芦屋国際俳句祭の募集句の中から、高浜虚子顕彰俳句大賞を受賞。「代表句はなんですか、と聞かれることがあるのだけれど、まだまだこの先もっと佳い句が詠めるかもしれない、と思うと、この句です、とは決められないの」と笑いながらおっしゃっていた。生まれ育った秋田の自然を慈しみ、日々の暮らしの中でさりげない佳句を多く詠まれたが、先日急逝された、享年五十八歳。〈あきらめは死を選ることと雪を掻く〉それでも厳しい雪との暮らしもまた好き、と、いつも前向きなまま駆け抜けてしまわれた。前出の俳句祭募集句入選句集に所載。(今井肖子)


December 01122006

 数へ日の夕富士ぽつんと力あり

                           櫻井博道

七沿いの池上に近いあたりだったか、病院に博道(はくどう)さんを見舞ったことがある。もう三十年も前のこと。鼻と喉に管の入ったまま、博道さんはにこにこと起き上がり、ベッドに腰かけて軽く足踏みをする格好をしてみせた。歩けるようになるよというジェスチャーだった。その数年前に博道さんは第十七回の現代俳句協会賞を受賞したが、身体の方は、宿痾となった結核との闘いが続いていた。その後も入退院を繰り返しながら、一九九一年に六十歳で永眠。痩身で眼鏡の温顔。その風貌と境涯から僕はお会いするといつも石田波郷との共通点を思った。博道さんの句の傾向は清冽、素朴。柔軟無碍な文体を駆使する波郷とは似て非なる世界を示している。この句、そう言えばあの病院から富士山が見えたかもしれないと気づいた。ぽつんとしているが、「力」が感じられる。博道さんは病との闘いの末にそんな生き方を目指しておられたのだろう。『文鎮』(1987)所収。(今井 聖)




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