2006N122句(前日までの二句を含む)

December 02122006

 人ゐれば人の顔して寒鴉

                           浅利恵子

朝もお隣のアンテナに鴉が止まっている。都会でも、都会だからか、鴉を見かけない日はない。したがって、ただ鴉といっても季節感は乏しく、鴉の巣が春季、鴉の子が夏季、初鴉は正月といった具合である。寒鴉は冬季、寒中の鴉のこと。河鍋暁斉の「枯木寒鴉図(こぼくかんあず)」なる絵は、枯れ枝の先にとまっている一羽の鴉の孤高な姿を描いて厳かな雰囲気さえ感じられるが、この句の寒鴉はどこか親しい。東京あたりで見られるのは、おでこの出っ張った嘴の太いハシブトガラスが大半だが、農村地帯、低山地に多く見られるのはハシボソガラス、細く尖った嘴を持ち顔もすっきりした印象である。浅利恵子さんは秋田の方なので、この場合の鴉はハシボソだろう。「朝、ごみを出しに行ったらちょこんと待っていたのよ」とお聞きした記憶がある、二年前だ。あ、カラス、と思ったその一瞬、またゴミを散らかしに来たとばかりに追い払うことなく、にっこり笑って鴉と少しの間話していたのかもしれない。賢く抜け目のない様子を、人ゐれば、それでもどこか憎めない親しさを、人の顔して、と、いかにも鴉が見える一句となった。厳しい冬を共に生きるものへのあたたかな眼差しも感じられるこの句は、平成十六年第三回芦屋国際俳句祭の募集句の中から、高浜虚子顕彰俳句大賞を受賞。「代表句はなんですか、と聞かれることがあるのだけれど、まだまだこの先もっと佳い句が詠めるかもしれない、と思うと、この句です、とは決められないの」と笑いながらおっしゃっていた。生まれ育った秋田の自然を慈しみ、日々の暮らしの中でさりげない佳句を多く詠まれたが、先日急逝された、享年五十八歳。〈あきらめは死を選ることと雪を掻く〉それでも厳しい雪との暮らしもまた好き、と、いつも前向きなまま駆け抜けてしまわれた。前出の俳句祭募集句入選句集に所載。(今井肖子)


December 01122006

 数へ日の夕富士ぽつんと力あり

                           櫻井博道

七沿いの池上に近いあたりだったか、病院に博道(はくどう)さんを見舞ったことがある。もう三十年も前のこと。鼻と喉に管の入ったまま、博道さんはにこにこと起き上がり、ベッドに腰かけて軽く足踏みをする格好をしてみせた。歩けるようになるよというジェスチャーだった。その数年前に博道さんは第十七回の現代俳句協会賞を受賞したが、身体の方は、宿痾となった結核との闘いが続いていた。その後も入退院を繰り返しながら、一九九一年に六十歳で永眠。痩身で眼鏡の温顔。その風貌と境涯から僕はお会いするといつも石田波郷との共通点を思った。博道さんの句の傾向は清冽、素朴。柔軟無碍な文体を駆使する波郷とは似て非なる世界を示している。この句、そう言えばあの病院から富士山が見えたかもしれないと気づいた。ぽつんとしているが、「力」が感じられる。博道さんは病との闘いの末にそんな生き方を目指しておられたのだろう。『文鎮』(1987)所収。(今井 聖)


November 30112006

 外套のなかの生ま身が水をのむ

                           桂 信子

和30年代の冬は今より寒かった気がする。家では火鉢や練炭炬燵で暖をとり、今では当たり前のようになっている電車や屋舎での空調設備も整っていなかったように思う。時間のかかる通勤、通学にオーバーは欠かせない防寒衣。父が着ていた外套は毛布のようにずっしり重く、そびえる背中が暗い壁のようだった。厳しい寒さから身を守る厚手の外套は同時に柔らかな女の身体を無遠慮な世間の視線から守ってくれるもの。夫を病気で亡くし、戦争で家を焼失したのち長らく職にあった信子にとって、女である自分を鎧っていないと押し潰されそうになる時もあったのではないか。重い外套に心と身体を覆い隠して出勤する日々、口にした一杯の水の冷たさが外套のなかの生ま身のからだの隅々にまでしみ通ってゆく。その感触は外套に包み隠した肉体の輪郭を呼び起こすようでもある。逆に言えば透明な水には無防備であるしかないから厚い外套を着たまま水を飲んでいるのかもしれない。「生身」ではなく「生ま身」とひらがなを余しての表記に、外套からなまみの身体がのぞく痛さを感じさせる。彼女の俳句には緊張した日常の中でふっとほころびる女の心と身体が描かれていて、せつなくなる時がある。『女身』(1955)所収。(三宅やよい)




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