2006ソスN11ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 27112006

 子の背信静かに痛む柚子のとげ

                           井本農一

語は「柚子(ゆず)」で秋に分類されているが、寒くなってからの黄金色に熟した玉は美しい。「背信」とはおだやかではないけれど、親の意向を聞き入れず、子が人生の大事を自分の考えだけで決めてしまったのだろう。進学や進路についてか、あるいは結婚問題あたりだろうか。その中身は知る由もないが、これまでは何でも親に相談し、何事につけ暴走するような子ではなかっただけに、今回のはじめての「背信」には打ちひしがれる思いである。怒りというよりも、どうしたのかという心配と哀しみの感情のほうが強いのだ。たとえれば、それは不覚にも刺されてしまった柚子のとげの傷みのように、思うまいとしても、何度でも静かな痛みを伴って胸を刺してくるのであった。このときに、実際に作者の手は柚子のとげで痛んでいたのでもあろう。子の背信。一般論としては、よくあることさとわかってはいても、それが自分との関わりにおいて起きてしまうと、話は別になる。その痛みはかくのごとくであると告げた揚句は、晩秋の小寒い雰囲気とあいまって、親としての情のありようをよく描出している。かれこれ半世紀前、私は父の望まぬ大学の望まぬ学部を受験すべく、勝手に願書を出してしまった。合格の通知を受けて父に報告すると、私の顔も見ずに、ただ一言「そうか」と言っただけだった。あれが、彼にははじめての「子の背信」だったのだろう。あのときにおそらく、父もまた静かな痛みを感じたにちがいないのである。青柳志解樹編『俳句の花・下』(1997)所載。(清水哲男)


November 26112006

 午後といふ不思議なときの白障子

                           鷹羽狩行

語は「障子」、冬です。けだるく、幻想的な雰囲気をもった句です。障子といえば、日本の家屋にはなくてはならない建具です。格子に組んだ木の枠に白紙を張ったものを、ついたてやふすまと区別して、「明り障子」と呼ぶこともあります。きれいな言葉です。わたしはマンション暮らしが長いので、障子とは無縁の生活を送っていますが、それでも子供の頃の障子のある生活を、よく思い出します。ただ、この句のように、まぼろしの世界にあるような美しい姿とは違って、たいていは破れて、穴だらけのみすぼらしいものでした。「明り障子」という名の通りに、光はその一部を外から取り込んできます。障子とはまさに、「区切る」ことと「受け入れる」ことを同時にこなすことのできる、すぐれた境目なのだと思います。生命が活動を始める朝日の鋭い光ではなく、ここでは午後の、柔らかな光が通過してゆきます。午後のいっとき、障子を背に、心も体も休めているのでしょうか。うつらうつらする背中越しに、外気の暖かさがゆっくりと伝わってきます。日が傾いてゆくその先には、この世界とは違った「不思議な」場所への通路がうがたれているようです。「午後」という時のおだやかさは、いつまでも、まんべんなくわたしたちに降りつのっています。『合本俳句歳時記 第三版』(2004・角川書店)所載。(松下育男)


November 25112006

 大熊手使へぬ小判食へぬ鯛

                           柴原保佳

度聞いただけで覚えてしまう句というのがある。たいていリズムがよく、くっきりとしている。昨年の十一月知人が、昨日の句会で先生の特選だった句よ、と教えてくれたこの句、以来忘れられない。季題は熊手、十一月の酉の日に開かれる酉の市で売られる、開運、商売繁盛の縁起物である。今年の十一月十六日は二の酉、小春日がそのままゆるゆる暮れてしまったような宵の口に、浅草の鷲(おおとり)神社に出かけた。入り口には提灯がずらりと掲げられ、とにかく明るい。その光の中に一歩を踏み入れると、両側にぎっしりと熊手が売られている。店ごとに工夫が凝らされているが多くは、お福面を中心に、鶴亀、松竹梅、宝船、扇、注連縄、招き猫等々がこれ以上めでたくなれないとばかりに熊手の表を飾り、ひときわ輝く大判小判は、伍十両、百両とざくざくである。そして一番下に、真っ赤な鯛が向かい合ってはねている。この句の作者は、東京下町で創業百年の老舗の店主、幼い頃から熊手を見て育ったのだろう。この小判や鯛が本物だったら、それは誰もが思うはずである。しかし、いざ俳句に詠もうとすると、他の人が気づかないような発見や表現や情などを模索し、熊手の裏側をのぞいてみたりする。使へぬ小判食へぬ鯛、は、リズムがよいだけでなく、熊手に飾られた数々の福の中から、巧みに人間の欲望の象徴を抜き出してみせて小気味よい。人伝に聞いて覚えた句、出典を求めてホトトギス雑詠欄を探すと、四月号の二句欄に発見。並んで〈私も無料老人竹の春〉。「ホトトギス」(2006年4月号)所載。(今井肖子)




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