2006N1124句(前日までの二句を含む)

November 24112006

 寒夜しまい湯に湯気と口笛“太陽がいっぱい”

                           古沢太穂

穂さんは、或る党派の党員として、その党のいうところの「民主化」運動に生涯を費やしてきた俳人である。「民主化」とは何かという論議は置いておいて、太穂さんは、その目的のために俳句表現があるという順序は、たとえ思っていたとしても表現の上には見せなかった人だ。太穂作品には政治理念よりも抒情が優先されているかに見える。この句では「太陽がいっぱい」がそれ。ルネ・クレマン監督、アラン・ドロン主演の名作の主題歌が「しまい湯」の口笛に乗って聞こえてくる。太穂さんは2000年没。悼む会で同じ加藤楸邨門の友、金子兜太が読んだ弔辞が忘れられない。戦前、若い頃、句会の帰りに東京のはずれで、二人で飲んで電車が無くなった。兜太さんが、「宿を探そう」と言うと、太穂さんが、「俺にまかせておけ」と応えてどんどん歩いていく。どこに行くのかと思いながらついてゆくと、警察署に入った。そこには顔見知りの刑事がいて拘置所に泊めてもらったという顛末。筋金入りの闘士太穂さんらしいエピソードである。「寒雷」の句会の帰路、何度かご一緒したが、僕が、その党派の姿勢に対する疑問をぶつけて、太穂さんを憮然とさせてしまった思い出がある。自宅は横浜磯子の近く。酒豪の太穂さんを支えて腕を組んで歩き家までお送りしたこともある。酔っていても太穂さんは胸を張ってやや上の方に顎を突き出して歩いた。兜太さんと歩いた夜もそんなだったんだろうなと弔辞を聞いたあとで思った。『火雲(ひぐも)』(1982)所収。(今井 聖)


November 23112006

 きょうは顔も休みだ

                           岡田幸生

日は勤労感謝の日。祝日法の規定によると「勤労をたっとび、生産を祝い、国民互いに感謝しあう日」らしいが、能力主義のはびこる今の世の中、毎日喜びをもって働いている人がどのくらいいるだろう。家族のため、生きるため、気にそぐわない職を続けている人も多いのではなかろうか。仕事に身をすり減らす日常を離れて本来の自分に立ち返れるのが週末の休みや今日のような祝日だろう。1962年生まれの作者は「短い言葉で世界を穿つ」魅力に惹かれ、感覚とひらめきで作る自由律俳句を始めたという。句集に収められた作品は韻律も形も様々だが、掲句の場合、きょうは/(2・1)/顔も(2・1)/休みだ(2・2)と三節に分かれ、2音と1音の反復、最後は2音の連続のリズムに落ち着く形で内容が凝縮されている。「きょうは」という限定で普段は毎日出勤して緊張を強いられた生活を送っている様子が、「顔も」という表現で心身ともにのびのび開放して休みを楽しんでいる気分が伝わってくる。休日の電車で、通勤時に見かけるサラリーマンがセーターにジーパンのラフなスタイルで家族と並んで座っているのに出くわすことがある。スーツに身を固め会社に向う緊張した面持ちとは違う和やかな表情。きっと顔も休みなのだろう。四六時中、仕事に追われている人たちにとって今日が祝福の一日でありますように。『無伴奏』(1996)所収。(三宅やよい)


November 22112006

 枯山を巻きとる祖母の糸車

                           安藤しげる

車は正確には糸繰車、糸取車などと呼ばれる。綿や繭から糸を紡ぎ出し、竹製の軽い大きな車を手で廻しながら巻きとっていく。子供の頃、うちでも祖母が背を丸めて、眠たそうな様子でよく糸繰りをしていた。左手の指先から綿を器用に細い糸状に紡ぎ出し、右手で廻す車で巻きとる。じっと見ていると、まるで手品のようで不可思議だった。今はもうどこでも用無しになってしまい、民俗資料館にでも行かなくてはお目にかかれない。わが家ではその糸を染め、手機(てばた)で織りあげて野良着や綿入れを、祖母や母が自分たちで縫いあげていた。しげる少年もおばあちゃんの糸繰り作業に目を凝らしていたことがあるのだろう。野山はもう枯れ尽きている。黙々とつづけられているおばあちゃんの作業は、寒々とした深夜までつづく――としてもいいだろうが、枯山は目の前に見えていたい。私は冬の午後日当りのいい部屋か縁側で、好天に誘われるようにのんびりあわてず、おばあちゃんがクルリクルリと車をまわしていて、近くに見えている枯山までが、一緒に巻きとられてゆくような、そんな夢幻めいた錯覚を楽しんでいたい。指先から繰り出される小さな作業だが、枯山までも巻きとるという大きさがこの句の生命である。巻きとられることで、さびしい枯山も息を吹き返してくるようにも感じられる。しげるには「高炉火(ろび)流る視野えんえんと枯芒」「螺子(ねじ)の尾根を妻子を連れて鉄工ゆく」など、職場の製鉄所を詠んだ力強い骨太の句が多い。今井聖が句集に寄せて「重い」とも「時代との格闘の痕」とも記している点が頷ける。掲句は「糸車」の軽さのなかに、重たい「枯山」を巻きとってみせた。句集『胸に東風』(2005)所収。(八木忠栄)




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