NHK短波への放送命令。小泉政権以降、放送機関にじわじわと圧力がかかりはじめた。(哲




2006ソスN10ソスソス31ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 31102006

 しつかりとおままごとにも冬支度

                           辻村麻乃

辞苑によると「ままごと」とは「飯事」と書き、子供が日常の生活全般を真似た遊びとある。ママの真似をするから「ままごと」なのかと思っていたが、遊びとしては江戸時代から貴族の子供は塗り物の道具、庶民の子供は木の葉や紙の道具、と昔から広く楽しまれていたようだ。ままごとで使うものは生活環境によってさまざまである。わたしは公園よりも、実家が持っていた印刷や製本の工場の裏で遊ぶことが多かった。インテル(活字の隙間に詰める薄い板)を使って雑草を刻み、古くなった文選箱(選んだ活字を入れる箱)に盛りつける。つぶれた活字をもらっては、椿の葉に刻印し「こういうものでございます」などと、大人たちに自慢気に配っていたことも思い出す。子供による日常生活の再現は、はたから見ていると驚くべき観察力であることがわかる。母親の口癖や、父親の態度など、はっと我が身を正す機会にもなったりもする。ほらコートを着ないと風邪をひきますよ、さぁおふとんを干しましょう。掲句のかわいらしいお母さんたちは一体どんな冬支度をしていたのだろう。「をかしくてをかしくて風船は無理」「足元に子を絡ませて髪洗ふ」などにも、体当たりで子育てをしている若い母親の姿が浮かぶ。『プールの底』(2006)所収。(土肥あき子)


October 30102006

 霧を出て白く飯食う村の子ら

                           奥山和子

語は「霧」で秋。「霧の村」と題された連作五句のうちの一句だが、なかに「霧の朝手と足が見えて来る」という句があるので、この村の霧が相当に濃いことが知れる。添えられた短文にも、「川と山に挟まれた村の朝は少々遅い。みっしりと霧が覆っているからだ」とある。そんな濃霧のなかを、子供たちは毎朝登校していく。そして、霧がすっかり晴れたころになると、昼食の時間だ。「白く飯食う」の「白く」とは、無表情に、淡々と、はしゃぐようなこともなく黙々と箸を使っている様子だろう。子供たちの弁当の時間といえば、明るい雰囲気を想起するのが一般的だが、この子らにはそれがない。といって、べつに暗い顔で食べるというわけではなく、一種老成した食べ方とでも言おうか、学校での食事も普通の生活の一コマでしかないというような食べ方なのだ。日頃の大人たちと似た雰囲気で、食事をする。作者がそのように感じるのは、おそらくはこの子らの将来を見ているからだ。多くの子は農業を継ぎ、この村にとどまるのだろう。このときに学校とは、何か霧の晴れたような華やかな未来への入り口ではなく、あくまでも普通の生活の通過点である。霧深い山国の地で生涯をおくることになる子供たちの表情は、確かにこのようであったと、同じような村育ちの私には、一読心を揺さぶられた句であった。「東京新聞」(2006年10月28日付夕刊)所載。(清水哲男)


October 29102006

 軒下といふ冬を待つところかな

                           黛 執

年草、あるいは一年草という名前を見るたびに、日本語というのはなんときれいな言葉かと思います。ひとつひとつの草花を、これは「一年」あれは「多年」と、遠い昔に誰がえり分けたのでしょうか。一年草はその長い一年を、充分輝いた後に、自身を静かに閉じてゆきます。片や多年草は、厳しい冬を前にして、命をながらえる準備を始めます。必要のない箇所を枯らせ、命の核だけを残して、身を丸めてじっとするようになります。この句は、そんな、けなげに生き抜こうとしている植物に、人が手を貸しているところを詠っているのだと思います。少しでも霜の降りない場所へ、雨の降らない場所へ、鉢に入った生命を移動するために、ひとつずつ人が持ち、軒下へ置いて行きます。「軒下」を、「冬を待つところ」と言っているのは、単に雨や霜を防ぐことを指しているだけではなく、寒さを正面から受け止めようという、積極的な意思さえも表しているからなのでしょう。たくさんの鉢を軒下に並べ終わって、空を見上げれば、屋根からはみ出した冬空がまぶしいほどに光っています。立ち尽くせば、軒下という場所が特別に優しく感じられ、人にとってもたしかに、「冬を待つところ」のように感じられてきます。『角川俳句大歳時記 秋』(2006・角川書店)所載。(松下育男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます