2006N1022句(前日までの二句を含む)

October 22102006

 冷やかに海を薄めるまで降るか

                           櫂未知子

語は「冷やか」。秋です。秋も終わりのほうの、冬へ、その傾斜を深めてゆく頃と考えてよいでしょう。春から夏へ向かう緩やかな階段を上るような動きとは違って、秋は滝のように、その身を次の季節へ落とし込んでゆきます。「冷やか」とは、じつに的確にその傾斜の鋭さを表した、清冽な季語です。夏の盛りの驟雨、暑さを閉じる雷雨、さらには秋口の暴風雨と、この時期の季節の移ろいに、空はあわただしく種類の異なる雨を提示してゆきます。その提示の最後に来るのが、秋の冷たい雨です。晩秋の雨の冷たさは、染み込むようにして、あたたかさに慣れきった身体を濡らしてゆきます。この句で際立っているのは、「海を薄めるまで」のところです。このような大げさな表現は、ひそやかに物を形容する日本語という言語には、適していないのかもしれません。しかし、この句にあっては、それほどの違和感をもつことなく、わたしたちに入ってくることができます。降る雨は、海の表面に触れる部分では、たしかにその瞬間に海を薄めているのです。それはまるで、海が人のように季節の冷たさを感じているようでもあります。そしてまた、海が濡れてゆくようでも。『角川俳句大歳時記 秋』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


October 21102006

 激し寄る四方の川水下り簗

                           星野立子

に簗(やな)というと夏季、魚簗とも書く。下り簗は秋季、文字通り川を下ってくる落鮎などを捕るための仕掛けである。今年の名月、関東地方は概ね無月であったが、深夜、雨で水かさの増えた栃木県の那珂川には、鮎三百キログラム(約五千匹?)、鰻百本が落ちたという。那珂川のみならず日本中のあちこちの川で、満月に鮎が次々に落ちていく、と想像すると幻想的である。落鮎の句を探して歳時記を開くと、隣の「下り簗」のところにこの句が。いかにも立子らしいと言われる句、ではない気もして調べると、昭和十一年、利根川での吟行句とわかる。句日記に「(簗は)想像してゐた以上の美事なものだと思ふ。」とあるので、簀(す)を張り渡した本格的なものだったのだろう。初めて目にする簗、川原に相当長い時間立ち続けていたようである。その足に、力強い水音が絶えず響いている。秋の日差しは思いの外強く、簀にぶつかった白い水しぶきに吹き上げられて鮎がはね、小石がはねる。激し寄る、に見える僅かな主観は季題にのみ向けられ、四方(よも)の川水が、一気に簗に落ち込んでいく。蝶に目をとめて一句、釣り人に会い一句、この日の吟行句、書き残されているものは十四句だが、呼吸をするように作句していたことだろう。俳句は自分のために作るもの、ただ作っているときは、本当に楽しい。息抜きにもなったであろう吟行だが、じっと川を観ている立子の凛とした姿が浮かぶ。『虚子編新歳時記』増訂版(1951・三省堂)所載。(今井肖子)


October 20102006

 古仏より噴き出す千手 遠くでテロ

                           伊丹三樹彦

季の句。「仏」の持つ従来の俳句的情緒を逆手にとって、情況に対する危機感を詠じた。海の彼方の国のテロが、瞬時に我々の現実となり得る現代をこの句は描いている。作者は日野草城主宰誌「青玄」に参加、草城没年(1956)に主宰を継承。「青玄」は、2005年に創刊六百号を迎えたあと、本年一月に終刊した。草城の拓いた同時代詩としての俳句の在り方を継いで、作者は現代語による表記を標榜。現代語の多様性がもたらす切れの位置の複雑さを、作り手の側から明確に示すために「分かち書き」を提唱、雑誌全体で実践してきた。「千手」と「遠く」の間の空白の一マスがそれである。同じ無季の句でやはり状況を詠った「屋上に洗濯の妻空母海に」(金子兜太)と並べて置いてみると、日常に隣接している暴力即ち「政治」を描くに当って、まず視覚的な構成から入る兜太作品に比べ、この句は、「仏」の持つ聖性が、むしろ観念としてテロを相対化していることがわかる。いわゆる「人間探求派」と「新興俳句派」という、両者の出自に関わる違いと言えなくもない。観念派と目される「人間探求派」が実は視覚的現実に重きを置き、「新興俳句派」のイメージや言葉が実は従来の俳句的情緒を梃子にしていることがうかがえる。二人とも俳句の新しい可能性を拓くために固定的な手法と闘ってきた現代俳句の闘将である。『樹冠』(1985)所収。(今井 聖)




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