中日ドラゴンズ、優勝おめでとう。一歩及ばなかったタイガース。また来季、闘わん。(哲




2006ソスN10ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 11102006

 渋柿の滅法生りし愚さよ

                           松本たかし

かしについての予備知識もなく彼の俳句を読んだおり、何といっても「チゝポゝと鼓打たうよ花月夜」に脱帽してしまった。以来、鼓を聴く機会があるたびにこの句を思い出してしまう。困った。チゝポゝ‥‥の句は第二句集『鷹』(1938)に収められたが、第三句集『野守』にも再録されている。果物は一般に熟成するにしたがって甘くなるはずなのに、渋柿は渋柿のままで意地を通す。お愛想なんぞ振りまかない。いいじゃないか。私はそこが気に入っている。甘柿と同じように秋の陽を浴びても、頑としてあくまでも渋いのである。もちろん渋柿も時間をかけて熟柿になったときの、あのトロリとした食感といい、コクのある甘さといい、あれは絶品。干柿や樽抜きにしても、一転してのあの甘さ! しかし、甘柿ならともかく、渋柿が豊作になったところで、どうしてくれる?――というのがわれわれの気持ち。渋柿がどんなにたわわに生ったところで、子供ならずとも「なあんだ」とがっかり。拍子抜けというよりも、鈴生りになるほど愚しくさえ感じられる。渋柿には何の罪もないけれど、滅法生ったことによる肩身の狭さ。得意げに鈴生りを誇っていないで、「憎まれっ子、世に憚る」くらいのことは見習ったら(?)。「愚さよ」は、ここでは渋柿に対してだけでなく、渋柿の持主に対しても向けられていることを見逃してはならないだろう。持主あわれ。でも、どことなくユーモラスな響きも感じられるではないか。『野守』(1941)所収。(八木忠栄)


October 10102006

 とどまらぬ水とどまらぬ雲の秋

                           若井新一

霖(しゅうりん)と呼ばれる秋の長雨が明け、文字通り天高く澄み渡る青空になるのは、ようやくこれからの日々だろう。寝転んでいるのか、はたまた仁王立ちに空を仰いでいるのか、豊かな水が湧く大地と、薄く流れる雲に挟まれる心地良さを掲句に思う。作者は新潟県南魚沼市在住とあるので、おそらく無粋な電線にさえぎられることのない、どこまでも続く秋の空をほしいままにしているのだろう。正岡子規が「春雲は絮(わた)の如く、夏雲は岩の如く、秋雲は砂の如く、冬雲は鉛の如く」と記したように、ごつごつと伸びあがる夏の雲と違い、秋の雲は水平に風に乗って広がっていく。空色の画用紙にひと筆を伸ばしたような雲や、はるかかなたを目指す仲間たちのようなうろこ雲の集団が頭上を流れる様子に、ふと海の底を覗き込んでいるような錯覚を起こす。川は山から海へ向かい、雲は風まかせに流れ、地球も自転し、ひいては時間も流れているのだと思うと、人はこんなにも縦横無尽に動くもののなかで生きているのかと、めまいする気分はますます深まる。底が抜けたような空の青さが、心もとない不安を一層募らせるからだろうか。お天気博士倉嶋厚氏の著書のなかで「cyanometry(青空測定学)」という言葉を見つけた。青空を測定・研究する学問で、測定の一つに、青さの異なる8枚のカードと比較し、空の青さを分類していく方法があるのだという。もしかしたら、カードの一枚には「不安を覚えるほどの青」という色があるかもしれない。『冠雪』(2006)所収。(土肥あき子)


October 09102006

 虫の夜の寄り添ふものに手暗がり

                           黛まどか

句で「虫」と言えば秋に鳴く虫のことだが、草むらですだく虫たちを指し、蝉などは除外する。そろそろ肌寒さを覚えるようになった頃の秋の夜、ひとり自室で虫の音を聞いていると、故知れぬ寂しい感情に襲われることがある。しょせん、人はひとりぼっち‥‥。そんな思いにとらわれてしまうのも、そうした夜のひとときだ。無性に人恋しくなったりして、そのことがまた寂しさを募らせる。この寂しい気持ちを癒すために、何かに寄り添いたい、いや何かに寄り添ってもらいたい。自然にわいてくるこの感情のなかで、作者はふと自分の手元に視線をやった。最前まで本をよんでいたのか、書き物でもしていたのか。手元をみつめると、そこに「手暗がり」ができている。読書や書き物に手暗がりはうっとうしい限りだけれど、いまの作者の寂しい感情はそれすらをも、自分に寄り添ってくれているものとして、いとおしく感じられたということである。形容矛盾かもしれないが、このときに作者が感じたのは、心地よい寂寥感とでも言うべき心持ちだ。この種のセンチメンタリズムの奥にあるのは、おそらく自己愛であろうから、一歩間違えると大甘な句になってしまう。そこを作者は巧みに避けて、その心持ちを小さな手暗がりにのみ投影させたことにより、読者とともに心地よい寂寥感を共有することになった。『忘れ貝』(2006)所収。(清水哲男)




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