「東京新聞」朝刊で昭和30年代を扱った「東京慕情」スタート。初回は「集団就職」。(哲




2006N102句(前日までの二句を含む)

October 02102006

 芋煮会遊び下手なる膝ばかり

                           山尾玉藻

語は「芋煮会」で秋。俳句で「芋」といえば「里芋」のことだ。名月のお供えも里芋である。句集ではこの句の前に「遊ばむと芋と大鍋提げ来る」とあるから、予定なしに急遽はじまった芋煮会なのだろう。それも小人数だ。一瞬、その場に楽しげな雰囲気が漂った。が、いざ大鍋を囲んでみると、なんだかみんな神妙な顔つきになってしまった。こういうときにはワイワイやるのがいちばんで、誰もが頭ではわかっているはずなのだが、いまひとつ盛り上がらない。冗談一つ出るわけでもなく、みんな鍋の中ばかりを見ている。むろん作者もその一人で、ああなんてみんな「遊び下手」なんだろうと、じれったい思いはするのだが、自分からその雰囲気をやわらげる手だては持っていない。自分への歯がゆさも含めて見回すと、揃ってみんなの「膝」が固く見えたというのである。こういうときに、人は人の顔を真っすぐ見たりはしない。俯くというほどではないけれど、なんとなく視線は下に向きがちになる。ささやかな遊びの場に、そんな人情の機微をとらえ、みんなの「膝」にそれとなく物を言わせたところに、揚句の手柄がある。私も遊び下手を自覚しているから、こんな思いは何度もしてきた。その場に一人でも盛り上げ役がいないと、どうにもならないのだ。友人には遊び上手なのが何人かいて、会っていると、いつも羨ましさが先に立つ。どうしたらあんなに楽しめるのだろうかと、つくづく我が性(さが)が恨めしく思われる。『かはほり』(2006)所収。(清水哲男)


October 01102006

 はなれゆく人をつつめり秋の暮

                           山上樹実雄

17文字という小さな世界ですから、一文字が変わるだけで、まるで違った姿を見せます。はじめ私はこの句を、「はなれゆく人をみつめり秋の暮」と、読み違えました。もしそのような句ならば、自分から去ってゆく人を、未練にも目で追ってゆくせつない恋の句になります。しかし、一文字を差し替えただけで、句は、その様を一変します。掲句、人をつつんでゆくのは秋の暮です。徐々に暗さを増し、ものみなすべての輪郭をあやふやにし、去る人を暗闇に溶け込ませてしまいます。去ってゆく後姿に、徐々にその暗闇は及び、四方から優しい手が伸びてきて、やわらかい布地でからだをつつんでゆくようです。「つつめり」というあたたかな動作を示す動詞が、句に、言い知れぬ穏やかさをもたらしています。あるいは、つつんでゆくのは、秋の暮ではなく、見送るひとのまなざしなのかもしれません。去るひとの行末に危険が及ばないようにという、その思いが後方から、祈りのようにかぶさってゆきます。どのような軽い別れも、確かな再会を保証するものではありません。「じゃあ」といって去ってゆく人の後ろ姿に、いつまでも目が放せないのは、当然のことなのかもしれません。『角川俳句大歳時記 秋』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


September 3092006

 赤とんぼ洗濯物の空がある

                           岡田順子

蛉には澄んだ空が似合う。糸蜻蛉、蜻蛉生る、などは夏季だが、赤蜻蛉も含めて、ただ蜻蛉といえば秋の季題となっている。ベランダで洗濯物を干していると、赤とんぼがつつととんでいる。東京では、流れるように群れ飛ぶことはあまり無い、ほんの数匹。空は晴れ上がり、風が気持よく、あら、赤とんぼ、と句ができる。「洗濯物の空がある」は、赤とんぼから生まれてこその、力の抜けた実感であり、白い洗濯物、青い空、赤とんぼが、ひとつの風景となって鮮やかに見える。爽やかな印象だが、爽やかや、では、洗濯物はただぶら下がっているばかりだろう。句には一文が添えられており、故郷鳥取で続けてきた句会の様子が語られている。農家の人達が、忙しい農事の合間に、公民館で月一回行っていた句会は、作者が東京に移り住んだ今も続いているという。歳時記の原点は農暦(のうごよみ)であり、俳句は鉛筆一本紙一枚あればだれでもいつでもどこでもできる。「その野良着のポケットに忍ばせた紙と鉛筆が生き甲斐の証であり、生み出す一句一句には土に生きる人達の喜怒哀楽があった」。作ることが生き甲斐であり喜びである。郷愁を誘う赤とんぼ、洗濯物は今の都会の日常生活、そしてこの空は遠いふるさとにつながっている、のかもしれないけれど、作者と一緒にただ秋晴の空を仰ぎたい。同人誌『YUKI』(2006年秋号)所載。(今井肖子)




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