北京でも金木犀が咲いていた。が、花は少なく、手で枝を引き寄せて嗅ぐ人を散見。(哲




2006ソスN9ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 2492006

 露の身の手足に同じ指の数

                           内山 生

たしたちは、自分の姿かたちというものを、日々気にしているわけではありません。大切なのは、手が、必要とするものを掴んだり運んだりすることができるかどうかなのであって、手に何本の指が生えているかということではありません。そんなことをいちいち考えている暇はないのです。あたえられたものを、あたえられたものとして、この形でやってきたのだから、それを今更どうしようもないわけです。ですから、自分の身体の中に、どんな矛盾や驚きがあっても、気づこうとしません。悲しくも、それらを含めてのいきものだからです。掲句、「露の身」とは、露のようにはかない身体ということでしょうか。まさに、露とともに流れ去ってしまうような不確かな肉体を携えて、生きているということです。この身体で自動改札を通り、この身体で夕日を浴びているのです。作者が気づいたのは、そのはかない身体の先端に位置する手足の指の数が、同じだということです。身体のはかなさが先端まで行って、行き着くところが上も下も、10本に枝分かれしているということです。枝分かれした先を見つめて作者が感じたのは、結局、わが身のいとおしさではなかったのかと思われます。その身をやわらかく抱きしめようとして動くのは、やはり自分の、腕だからです。『現代俳句歳時記』(1993・新潮選書)所載。(松下育男)


September 2392006

 曼珠沙華はがねの力もてひらく

                           北 さとり

分の日、秋彼岸の中日である。お彼岸だから彼岸花、というのも安直な発想だが、曼珠沙華の句を探す。やはり、ほとんどの句は燃えているか、妖しく群れ咲いていることが念頭にあるか。マンジュシャゲは、赤い花、を表す梵語であるというが、やはりこの朱色が最も強い印象であり、圧倒的に群れ咲いているどこか不気味な記憶は、誰もが持っていることだろう。この句に目がとまったのは、はがねの力、の中七である。鋼(はがね)を広辞苑で調べると、鋼鉄の意の次に「強剛な素質」とある。確かに、開いたその花は花弁が大きく弧を描いて反り返り、長い蕊は一本一本が思い切り外へ伸びつつ、空へ向かって湾曲している。ふれれば、それはみずみずしい生きた花の感触に違いないのだが、ねじれつつほっそりと伸びた蕾の、一つ一つが開いていくさまを想像すると、そこには自然の持つ強い力に押し広げられていくという、どこか硬質で強固なものが感じられる。群れ咲く中の一本の曼珠沙華の花と向き合って、単なるイメージに囚われることなく、それを見つめながら「はがねの力」と詠んだ作者もまた、厳しく強い意志の持ち主であるのかもしれない。『花の大歳時記』(1990・角川書店)所載。(今井肖子)


September 2292006

 秋の暮溲罎泉のこゑをなす

                           石田波郷

罎に自分の尿が出るときの音を聞いて、回復への喜びを感じている。手術後の危険な状態を脱したときの感慨だろう。波郷の療養に材を採った句は、自分の厳しい病状を詠んでも品格があり、生を前向きに希求してゆく姿勢がある。最晩年の句「梅の香や吸ふ前に息は深く吐け」にしても呼吸一回の苦しさ、困難さを詠んでいながら、その状態に「梅の香」を配さずにはいられない。極限の「リアル」を写実的に「写す」ことへの執着が波郷にはあって、しかも、それだけでは終わらない。季語を通して、俳句の品格を「脚色」してゆくのである。梅の香の句はそのバランスが、おそらく意図を超えて季語の方に傾いた。呼吸の苦しさという「リアル」が、梅の香を呼吸するという情緒の方に吸い取られていくのである。それに対し、この句の「リアル」と季語の情緒のバランスは絶妙である。「音」ではなく、「こゑ」とすることで、溲罎というもののイメージを切実な生の営みに明るく繋げていく。そして「秋の暮」。「秋の暮」は下句に対し、一見、絶対の季語ではないかのように思える。下句が季感を伴う状況ではないから。しかし、溲罎の音に耳を澄まし、その温みを思うとき、「秋の暮」が必然の季節的背景のように思えてくる。波郷の脚色の成果である。『惜命』(1950)所収。(今井 聖)




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