「改憲五年以内に」と、安倍がぶち上げた。国民などどうにでもなるという傲慢さ。(哲




2006ソスN9ソスソス12ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 1292006

 露の玉こはれて水に戻りたる

                           塩川雄三

ほどさまざまな象徴を込められている大気現象はそうないだろう。袖の露(涙)、露と消える(はかなさ)、露の間(ほんのわずかな時間)など、あげればきりがない。しかし、実際に実物を目にすれば、やはりそのいつとも知れずできた細やかな美しさに心をうばわれる。掲句ではきらめく太陽を封じ込め、天地を映していた端正な露の玉が、持ちこたえられず一瞬にして形を崩す。雫となってしたたり落ちた水滴は、今やなんの肩書きもないただの水だ。張り詰めた美しさから解放され、心持ちほっとした様子を作者は水のなかに見て取り、完璧な美を破壊することで、露の玉の存在はあらためて読者に明確に印象付けられる。あくまで写生句として位置しながら、秋の静けさを背景に持ち、整然と美しい玉が壊れて水に戻る健全さが描かれ、さらに露が持つ文芸的要素を浮遊させる。源氏物語を始め、露が命のはかなさや涙などをたとえている多くの小説のなかで、掲句に壇一雄の『光る道』を重ねた。三の宮の姫君を背負い宮廷で働く衛士が失踪する道中で、ふたりの長い沈黙を破ったのは一面の野に散り敷かれた白玉の露だった。姫宮は自然の光に輝く露に囲まれ、はじめて声をあげる。美しくもはかない白玉の露が、姫宮と現実との初めての接点であったことが、その後の結末を予感させる華麗で残酷な小説だった。十七音に絵画や小説を凝縮させる力を思い、これこそ俳句の大きな魅力だと感じる。『海南風』(2006)所収。(土肥あき子)


September 1192006

 梨の肉にしみこむ月を噛みにけり

                           松根東洋城

者は漱石門、大正期の作品だ。季語は「梨」で秋。「肉」は「み」と読ませていて、むろん梨の「実」のことであるが、現代人にこの「肉」は違和感のある使い方だろう。「肉」と言うと、どうしても私たちは動物のそれに意識が行ってしまうからだ。しかし、昔から「果実」と言い「果肉」と言う。前者は果物の外観を指し、後者はその実の部分を指してきた。だから、梨畑になっているのは「実」なのであり、剥いて皿の上に乗っているのは「肉」なのだった。この截然たる区別がだんだんと意識されなくなったのは、おそらく西洋食の圧倒的な普及に伴っている。いつしか「肉」という言葉は、動物性のものを指すだけになってしまった。東洋城の時代くらいまでの人は、植物性であれ動物性であれ、およそジューシーな食感のあるものならば、ともに自然に「肉」と意識したのだろう。言語感覚変質の一好例だ。冷たい梨をさりさりと食べながら、ああ、この肉には月の光がしみこんでいるんだなと感得し抒情した句。なるほど、梨は太陽の子というよりも月の子と言うにふさわしい。ただ、こうしたリリシズムも、この国の文芸からはいまや影をひそめてしまった。生き残っているとすれば、テレビCMのような世界だけだろう。現代の詩人が読んだとしら、多くは「ふん」と言うだけにちがいない。抒情もまた、歳を取るのである。『東洋城全句集』(1967)所収。(清水哲男)


September 1092006

 秋の日が終る抽斗をしめるように

                           有馬朗人

き出しがなめらかに入るその感触は、気持のよいものです。扉がぴたりとはまったときや、螺子が寸分の狂いもなく締められたときと同じ感覚です。そのような感触は、あたまの奥の方がすっと感じられ、それはたしかに秋の、乾いた空気の手触りにつながるものがあります。抽斗は「ひきだし」と読みます。「引き出し」と書くと、これは単に動作を表しますが、「抽斗」のほうは、「斗」がいれものを意味しますから、入れ物をひきだすというところまでを意味し、より深い語になっています。「秋の日」、「終る」、「抽斗」と同じ乾き方の語が続いたあとは、やはり「閉じる」よりもさわやかな、「しめる」が選ばれてよいと思います。抽斗をしめることによって、中に閉じ込められたものは、おそらくその日一日のできごとであるのでしょう。しめるときの振る舞いによって、その日がどのようなものであったのかが想像できます。怒りのちからで押し込むようにしめられたのか、涙とともに倒れこむようにしめられたのか。箱の中で、逃れようもなく過ごしてきた一日は、どのようなものであれ、時が来れば空はふさがれ、外からかたく鍵がかけられます。掲句の抽斗は、激することなく、静かにしめられたようです。とくに大きな喜びがあったわけではないけれども、いつものなんでもない、それだけに大切な、小箱のような一日であったのでしょう。『新選俳句歳時記』(1999・潮出版社)所載。(松下育男)




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