2006年9月9日の句(前日までの二句を含む)

September 0992006

 月一輪星無數空緑なり

                           正岡子規

の句を、と『子規全集』を読む。この本、大正十四年発行とありちょっとした辞書ほどの大きさで天金が施されているが、とても軽くて扱いやすい、和紙は偉大だ。そしてこの句は第三巻に、明治三十年の作。満月に近いのだろう、月の光が星を遠ざけ、空の真ん中にまさに一輪輝いている。さらにその月を囲むように星がまたたく。濃い藍色の空に星々の光が微妙な色合いを与えていたとしても、月夜の空、そうか、緑か。時々、自分が感じている色と他人が感じている色は微妙に違うのではないかと思うことがあるが、確かめる術はない。しかし、晩年とは思えない穏やかな透明感のある子規の絵の中で、たとえば「紙人形」に描かれた帯の赤にふと冷たさを感じる時、子規の心を通した色を実感する。明治三十五年九月十九日、子規は三十五年の生涯を閉じる。虚子の〈子規逝くや十七日の月明に〉の十七日は、陰暦八月十七日で満月の二日後、そして今日平成十八年九月九日は、本来なら陰暦八月(今年は閏七月)十七日にあたる。前出の虚子の句が子規臨終の夜の即吟、と聞いた時は、涙より先に句が出るのか、と唖然としたが、もし見えたら今宵の月は十七日の月である。ただし、今年は閏七月があるため、暦の上の名月は来月六日とややこしい。ともあれ、月の色、空の色、仰ぎ見る一人一人の色。『子規全集』(1925・アルス)所載。(今井肖子)


September 0892006

 漁場の友と頭ぶつけて霧夜酔う

                           金子兜太

一次産業の労働者を描くことが、労働というものの本質を表現することになるという考え方は間違ってはいないが、一面的ではないかと僕は思う。漁場のエネルギーや「男」の友情は、それだけでは古いロマンの典型からは出られない。この句はそこに依拠しない。「頭ぶつけて」と「霧夜」が象徴するものは、時代そのものである。戦後、住宅地や工場用地への転用を目的とする埋め立てによって漁場は閉鎖を余儀なくされる。その結果、巨額の補償金が漁師の懐に入り、もとより漁しか知らず、宵越しの金をもたない主義の漁師たちは、我を忘れて遊興や賭博に走った。そこにヤクザが跋扈し、歓楽街が出現する。身包みはがれた漁師たちはまたその日暮しに戻る。しかし、そこにはもう海は無いのである。資本の巨大化即ち経済の高度成長に伴い人間の「労働」がスポイルされていく過程がそこにある。兜太の描く「社会性」が労働賛歌になったり、一定の党派性に収斂していかないのは、この句のように、揺れ動く時代にぶらさがり、振り落とされまいと必死でもがいている人間の在り方とその真実に思いが届いているからである。『少年』(1955)所収。(今井 聖)


September 0792006

 水引草空の蒼さの水掬ふ

                           石田あき子

引草の咲く水辺に屈み、秋空を映す水を掬っているのだろうか。「水引草」と「水」のリフレイン、秋の澄み切った空と可憐な水引草の取り合わせに清涼感がある。この草のまっすぐ伸びた細長い花穂の形状とびっしりついた小花を上から見ると赤、下から見ると白なので紅白の水引に見立てたのが名前の由来とか。あき子は石田波郷の妻。結核療養する夫を看病しつつ秋桜子の「馬酔木」に投句を続けた。波郷は妻の俳句にはいっさい干渉しなかったが、いよいよ余命短い予感がしたのか「おまえの句集を作ってやる」と言い出した。瀕死の病床であき子の句稿に目を通し表紙絵をデザイン。画家に装画を依頼して、書簡で細かな注文を出した。あとは自ら筆をとって後書を書くだけだったのに、波郷は亡くなり、その一月後にあき子の句集は上梓された。赤い花をちらした水引草の花穂が表紙の表裏いっぱいに何本も描かれている美しい句集だ。波郷の決めた題名は『見舞籠』。目立たずに秋の片隅を彩る水引草は波郷がつかのまの健康を取り戻した自宅の庭に茂っていた花であり、傍らにいつも寄り添ってくれたあき子その人の姿だったのかもしれない。『見舞籠』(1970)所収。(三宅やよい)




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