昨日から急に涼しくなった東京です。それでも電車やバスは冷房を止めません。(哲




2006ソスN9ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 0292006

 一粒の露の大きくこぼれたる

                           山本素竹

は一年中結ぶものではあるが秋に著しいので、単に露といえば秋季となる。また「露けし」「露の世」「露の身」などと使い、はかなさや涙にたとえる句も私の周りには多いが、この句のように、「露」そのものを詠んでいながら余韻のある句にひかれる。この作者には〈百万の露に零るる気配なく〉という句もあり、「一粒」と「百万」、かたや「こぼれ」かたや「零るる気配なく」対照的だが、いずれも「露」そのものが詠まれている。葉の上にあるたくさんの露を見つめていると、朝の光の中で自らの重さについと一粒こぼれる。たった一粒だけれど、一粒だからこそ、はっとしてしまう。その露はまた、虫や草木にとっては命の糧でもある。「こぼれたる」とひらがなにすることで、なお動きも見えてくる。それに対して「百万」の句は、「零るる」と漢字にして大きい景を見せている。いかにも広い早朝の野が想像されるが、「ずっと露の景が頭にあって句になっていなかったのが、ある朝家から出て足下の草を見ていたらできた」ときく。授かった一句ということか、羨ましい限り。『百句』(2002)所収。(今井肖子)


September 0192006

 洋上に月あり何の仕掛けもなく

                           三好潤子

いだ夜の海上にぽっかりと月の浮ぶのを見るとき、まさにこんな感じを抱く。空間に存在する「もの」を知のはたらきで関係づけるという「写生構成」を説いた山口誓子の戦後の秘蔵っ子のひとり。その作品は六十年代から七十年代にかけての「天狼」同人欄を席巻した。内容は「見立て」の機智ということになろうが、この独特のリズムと素っ気無いまでの論理性が誓子調本流。魅力もそこにある。仕掛けのある月もあった。ワグナーに入れ揚げた南ドイツ、バイエルンの王様ルートヴィヒ2世は、国の財政を破綻させてまで、凝りに凝った城ノイシュヴァンシュタイン城を造り、城内に人工の月を掛けてその下を馬車で巡ったそうな。三好潤子は大阪生まれで和服の似合う美人。活発な人柄だったが、生涯はさまざまな病気の連続。1985年六十歳、脳腫瘍でこの世を去る。『澪標』(1976)所収。(今井 聖)


August 3182006

 学校へ来ない少年秋の蝉

                           藺草慶子

日から二学期。子供の頃はこの日が嫌いだった。毎日のお天気マークはでたらめだし、宿題帳はほとんど白紙のまま。休み中逃げ続けた現実に直面するのが今日だった。この頃の学校は宿題が減っているようなので、そんな情けない思いをしている子は少ないかもしれない。それでも中には明日から始まる学校に不安を感じている子もいるだろう。とりわけ不登校の子供達はどんな気持で今日を過ごしているのか。夏休みの間は自分と同じように家にいて、ときどき近所で顔を合わせていた友達も明日から学校へ行ってしまう。学校へ行かない、行けない子供達にまた長いひとりぼっちの日々が始まる。「秋の蝉」は、夏過ぎても鳴いている蝉の総称。残暑の続くうちは声に勢いがあるけど、だんだん鳴き声も疎らに、細くなってゆく。「学校へ来ない」の措辞から考えると句は教師の立場から書かれたものだろう。平常の授業が始まったクラスにぽつんと空いた席。生徒ではなく「少年」と表現したことで、教壇から見下ろす視線ではなく、学校へ来ない彼の寂しい胸のうちを、秋蝉の声にだぶらせて思いやる心持ちが伝わってくる。『現代俳句最前線』(2003)所載。(三宅やよい)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます