「魔さか球児被弾…虎痛恨ドロー 」(DailySports)。これだからなあ、勝負事は。(哲




2006ソスN8ソスソス31ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 3182006

 学校へ来ない少年秋の蝉

                           藺草慶子

日から二学期。子供の頃はこの日が嫌いだった。毎日のお天気マークはでたらめだし、宿題帳はほとんど白紙のまま。休み中逃げ続けた現実に直面するのが今日だった。この頃の学校は宿題が減っているようなので、そんな情けない思いをしている子は少ないかもしれない。それでも中には明日から始まる学校に不安を感じている子もいるだろう。とりわけ不登校の子供達はどんな気持で今日を過ごしているのか。夏休みの間は自分と同じように家にいて、ときどき近所で顔を合わせていた友達も明日から学校へ行ってしまう。学校へ行かない、行けない子供達にまた長いひとりぼっちの日々が始まる。「秋の蝉」は、夏過ぎても鳴いている蝉の総称。残暑の続くうちは声に勢いがあるけど、だんだん鳴き声も疎らに、細くなってゆく。「学校へ来ない」の措辞から考えると句は教師の立場から書かれたものだろう。平常の授業が始まったクラスにぽつんと空いた席。生徒ではなく「少年」と表現したことで、教壇から見下ろす視線ではなく、学校へ来ない彼の寂しい胸のうちを、秋蝉の声にだぶらせて思いやる心持ちが伝わってくる。『現代俳句最前線』(2003)所載。(三宅やよい)


August 3082006

 夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり

                           三橋鷹女

月に何年ぶりかで成田山新勝寺の祇園祭に出かけた。広々とした本堂前にくり出した山車を見物し、広い公園を散策したのち古い店で鰻を食べた。その帰り、にぎわう参道の傍らにポツリと立つ和服姿の女性の前でふっと足をとめた。鷹女さん――写真で見覚えのある鷹女の、気品ある等身大のブロンズ像だった。彼女は成田に生まれたし、父は新勝寺の重役を務めた。眼鏡の奥の鋭い目。とがった顎。この人が夏痩せしたら、いっそう全体にとがっただろうに。毅然として「嫌ひなものは嫌ひなり」ときっぱり言い切ったら、暑気も何も吹っ飛んでしまうだろう。ヤワではない。それは鷹女の気性であったことはもちろんだが、じつは一見柔和そうな女性が内に秘めている勁さでもあると思われる。こういう句を作った女性が果して幸せだったか否か・・・。そこいらに転がっている、いわゆる「台所俳句」などの類を顔色なからしめる世界である。「おそらく終生枉げることのできなかったであろう激しい気性や潔癖な性質を伝える句」という馬場あき子の指摘が、とりわけ初期の句を言い当てている。いや、晩年の遺作にも「千の蟲鳴く一匹の狂ひ鳴き」「木枯山枯木を折れば骨の匂ひ」などがあり、激しさは健在だった。第一句集『向日葵』(1940)所収。(八木忠栄)


August 2982006

 花茗荷きょうが終ってしまいけり

                           宇咲冬男

の長い残暑もようやくその尾を巻き取ろうとしている。ひと筋の風が頬に触れ 、蜩の声が聞こえると、どこか遠くで準備されていた秋が、すぐそこに近づいてきたのだと気づく。新しく巡る季節のなかで、秋の始めをことさら意識するのは、夏が力づくでやってきて、まるで終わることなど考えられないような激しさで毎日を攻めたてていたからだ。力のあるものの終わりを見つめることの悲しみが、秋の始まりにはある。一日が「終わる」のではなく「終わってしまう」という掲句もまたこの時期ならでは焦燥感が込められている。さらに「けり」の切れ字によって、自分ではいかんともしがたい圧力が加わり、途方に暮れる気持ちが一層強まる。茗荷の花という一般にあまり馴染みのない花の、地面からいきなり突き出る唐突とさえ思えるような形が、作者のとりとめのない心情にぴったりと寄り添い、はかなく美しい秋を象徴しているようだ。永遠に続くと思っていた夏休みもあと三日。たっぷり残った宿題を前に呆然としていた小学生時代こそ、今日が終わってしまうことにすがるような心地であったことをふと思い出す。『塵劫』(2006)所収。(土肥あき子)




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