ずいぶん夜明けが遅くなってきましたね。中途半端だった夏も過ぎてゆきます。(哲




2006ソスN8ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 3082006

 夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり

                           三橋鷹女

月に何年ぶりかで成田山新勝寺の祇園祭に出かけた。広々とした本堂前にくり出した山車を見物し、広い公園を散策したのち古い店で鰻を食べた。その帰り、にぎわう参道の傍らにポツリと立つ和服姿の女性の前でふっと足をとめた。鷹女さん――写真で見覚えのある鷹女の、気品ある等身大のブロンズ像だった。彼女は成田に生まれたし、父は新勝寺の重役を務めた。眼鏡の奥の鋭い目。とがった顎。この人が夏痩せしたら、いっそう全体にとがっただろうに。毅然として「嫌ひなものは嫌ひなり」ときっぱり言い切ったら、暑気も何も吹っ飛んでしまうだろう。ヤワではない。それは鷹女の気性であったことはもちろんだが、じつは一見柔和そうな女性が内に秘めている勁さでもあると思われる。こういう句を作った女性が果して幸せだったか否か・・・。そこいらに転がっている、いわゆる「台所俳句」などの類を顔色なからしめる世界である。「おそらく終生枉げることのできなかったであろう激しい気性や潔癖な性質を伝える句」という馬場あき子の指摘が、とりわけ初期の句を言い当てている。いや、晩年の遺作にも「千の蟲鳴く一匹の狂ひ鳴き」「木枯山枯木を折れば骨の匂ひ」などがあり、激しさは健在だった。第一句集『向日葵』(1940)所収。(八木忠栄)


August 2982006

 花茗荷きょうが終ってしまいけり

                           宇咲冬男

の長い残暑もようやくその尾を巻き取ろうとしている。ひと筋の風が頬に触れ 、蜩の声が聞こえると、どこか遠くで準備されていた秋が、すぐそこに近づいてきたのだと気づく。新しく巡る季節のなかで、秋の始めをことさら意識するのは、夏が力づくでやってきて、まるで終わることなど考えられないような激しさで毎日を攻めたてていたからだ。力のあるものの終わりを見つめることの悲しみが、秋の始まりにはある。一日が「終わる」のではなく「終わってしまう」という掲句もまたこの時期ならでは焦燥感が込められている。さらに「けり」の切れ字によって、自分ではいかんともしがたい圧力が加わり、途方に暮れる気持ちが一層強まる。茗荷の花という一般にあまり馴染みのない花の、地面からいきなり突き出る唐突とさえ思えるような形が、作者のとりとめのない心情にぴったりと寄り添い、はかなく美しい秋を象徴しているようだ。永遠に続くと思っていた夏休みもあと三日。たっぷり残った宿題を前に呆然としていた小学生時代こそ、今日が終わってしまうことにすがるような心地であったことをふと思い出す。『塵劫』(2006)所収。(土肥あき子)


August 2882006

 月見草木箱のラジオ灯りけり

                           小澤 實

の出ころに咲くので「月見草」。朝になると、しぼんでしまう。以前にも書いたことだが、私は月見草をそれと意識して見たことはない。しかも、数年前までは黄色い花の「待宵草(まつよいぐさ)」と混同していた。月見草の花は白色だという。図鑑の写真を見ても、見たことがあるようなないような‥‥。同じ夜咲く花でも、月下美人のように豪奢な感じはかけらもないので、見たことがあっても名前まで知ろうとは思わなかったのだろう。そんな花は、他にもいっぱいある。夏の季語だ。そういうことはさておいても、揚句は理解できる。とりたてて新味もない句だが、昔のラジオ少年としては、たまらない懐かしさに誘われた。そうだった、ラジオはみんな木箱に内蔵されていた。夕方、学校から戻ってきて、聴きたい番組のあるときはスイッチをひねる。現代のそれとは違い、当時は真空管方式だったから、すぐには音が聞こえてこない。しばらく待つうちに、ブーンというノイズとともに聞こえてくるのだ。この感覚が、まさに「灯る」なのである。ラジオも灯り、月見草も灯るころに、聞こえてくる番組は「笛吹童子」か「一丁目一番地」か、はたまた民放の「赤胴鈴之助」あたりだろうか。そんなことを思っていると、しばし世の中のとげとげしさを忘失することができた。ところで、作者は1956年の生まれだ。物心のついたころには、既に木箱のラジオは珍しかったのではあるまいか。だとすれば、私は新味のない句と思ったけれど、作者の世代にとって「木箱のラジオ」はむしろ新鮮に感じられるのかもしれない。すると、句の解釈はかなり異なってくるが、まあ、私は私なりに読んだということで。「俳句研究」(2006年9月号)所載。(清水哲男)




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