2006N828句(前日までの二句を含む)

August 2882006

 月見草木箱のラジオ灯りけり

                           小澤 實

の出ころに咲くので「月見草」。朝になると、しぼんでしまう。以前にも書いたことだが、私は月見草をそれと意識して見たことはない。しかも、数年前までは黄色い花の「待宵草(まつよいぐさ)」と混同していた。月見草の花は白色だという。図鑑の写真を見ても、見たことがあるようなないような‥‥。同じ夜咲く花でも、月下美人のように豪奢な感じはかけらもないので、見たことがあっても名前まで知ろうとは思わなかったのだろう。そんな花は、他にもいっぱいある。夏の季語だ。そういうことはさておいても、揚句は理解できる。とりたてて新味もない句だが、昔のラジオ少年としては、たまらない懐かしさに誘われた。そうだった、ラジオはみんな木箱に内蔵されていた。夕方、学校から戻ってきて、聴きたい番組のあるときはスイッチをひねる。現代のそれとは違い、当時は真空管方式だったから、すぐには音が聞こえてこない。しばらく待つうちに、ブーンというノイズとともに聞こえてくるのだ。この感覚が、まさに「灯る」なのである。ラジオも灯り、月見草も灯るころに、聞こえてくる番組は「笛吹童子」か「一丁目一番地」か、はたまた民放の「赤胴鈴之助」あたりだろうか。そんなことを思っていると、しばし世の中のとげとげしさを忘失することができた。ところで、作者は1956年の生まれだ。物心のついたころには、既に木箱のラジオは珍しかったのではあるまいか。だとすれば、私は新味のない句と思ったけれど、作者の世代にとって「木箱のラジオ」はむしろ新鮮に感じられるのかもしれない。すると、句の解釈はかなり異なってくるが、まあ、私は私なりに読んだということで。「俳句研究」(2006年9月号)所載。(清水哲男)


August 2782006

 毀れやすきものひしめくや月の駅

                           小沢信男

語に「fragile」という単語があります。この語には「壊れやすい、もろい」のほかに、「はかない、危うい」という意味もあります。通常は運搬時、小包の中身が壊れやすいと思われる場合にこの単語が使われるのですが、場合によっては「人」を表現するためにも使います。たしかに人というものは、自分の容器を壊れないように、あるいは中身がこぼれないように、日々注意して運んでいるようなものです。人をひとつの壊れやすい容器と見ることは、俳句を通した日本独特の感じ方ではなくて、英語圏にもあるようです。おそらくどこの国の人も、自分が容易に壊れてしまうものであることを知っているのです。掲句は、「実妹伊藤栄子を送る追悼十句のうち」の一句で、前書に、「通夜へ、人身事故により電車遅延」とあります。肉親の生命の消失によって、作者は強く心を揺り動かされています。そこへ、電車が遅れるというあまりにも日常的な出来事が割り込んできます。その日常の出来事でさえ、人身事故という人の生死につながっています。駅の上空の月は、それら生きるもの死ぬものをへだてなく、広く照らしています。目の前にひしめく多くの見知らぬ乗降客でさえ、月の光に個々の生命をくっきりと照らし出されて、作者の目の前を通過してゆきます。この駅は、日常と非日常、生きることと死ぬことの、乗換駅ででもあるかのようです。『新選俳句歳時記』(1999・潮出版社)所載。(松下育男)


August 2682006

 初秋の人みなうしろ姿なる

                           星野高士

秋を過ぎても八月は残暑が厳しく、西瓜、花火、などは盆にまつわる季題とはいえ夏のイメージが強い。しかし子供の頃、八月に入ると夏休みは急に駆け足になって過ぎた。西瓜の青い甘さに、今を消えてゆく花火に、星が流れる夜空に、秋が見えかくれする。そんな秋の初めの頃をいう初秋(はつあき)。ふと目にしたうしろ姿の人々と、それぞれがひく影に秋を感じたのだろう。「人みなうしろ姿」という表現で秋のイメージを、などとは思っていない。よみ下してすっと秋の風が吹き、目が「初秋」という季題に落ち着いてしみじみとする。星野高士氏は星野立子の孫にあたり、今年、句集『無尽蔵』を上梓、掲句はその中の一句である。その句集中の〈月下美人見て来て暗き枕元〉という一句に惹かれ、お目にかかった折、作句時の心境など伺うと、何となくそんな気がしたのよね、と。衒いのない句、言葉はあとから、なのである。『無尽蔵』(2006)所収。(今井肖子)




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