昼寝覚めで寝ぼけまなこをこすったら、コンタクトが飛んで、そのまま行方不明に。(哲




2006ソスN8ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 2782006

 毀れやすきものひしめくや月の駅

                           小沢信男

語に「fragile」という単語があります。この語には「壊れやすい、もろい」のほかに、「はかない、危うい」という意味もあります。通常は運搬時、小包の中身が壊れやすいと思われる場合にこの単語が使われるのですが、場合によっては「人」を表現するためにも使います。たしかに人というものは、自分の容器を壊れないように、あるいは中身がこぼれないように、日々注意して運んでいるようなものです。人をひとつの壊れやすい容器と見ることは、俳句を通した日本独特の感じ方ではなくて、英語圏にもあるようです。おそらくどこの国の人も、自分が容易に壊れてしまうものであることを知っているのです。掲句は、「実妹伊藤栄子を送る追悼十句のうち」の一句で、前書に、「通夜へ、人身事故により電車遅延」とあります。肉親の生命の消失によって、作者は強く心を揺り動かされています。そこへ、電車が遅れるというあまりにも日常的な出来事が割り込んできます。その日常の出来事でさえ、人身事故という人の生死につながっています。駅の上空の月は、それら生きるもの死ぬものをへだてなく、広く照らしています。目の前にひしめく多くの見知らぬ乗降客でさえ、月の光に個々の生命をくっきりと照らし出されて、作者の目の前を通過してゆきます。この駅は、日常と非日常、生きることと死ぬことの、乗換駅ででもあるかのようです。『新選俳句歳時記』(1999・潮出版社)所載。(松下育男)


August 2682006

 初秋の人みなうしろ姿なる

                           星野高士

秋を過ぎても八月は残暑が厳しく、西瓜、花火、などは盆にまつわる季題とはいえ夏のイメージが強い。しかし子供の頃、八月に入ると夏休みは急に駆け足になって過ぎた。西瓜の青い甘さに、今を消えてゆく花火に、星が流れる夜空に、秋が見えかくれする。そんな秋の初めの頃をいう初秋(はつあき)。ふと目にしたうしろ姿の人々と、それぞれがひく影に秋を感じたのだろう。「人みなうしろ姿」という表現で秋のイメージを、などとは思っていない。よみ下してすっと秋の風が吹き、目が「初秋」という季題に落ち着いてしみじみとする。星野高士氏は星野立子の孫にあたり、今年、句集『無尽蔵』を上梓、掲句はその中の一句である。その句集中の〈月下美人見て来て暗き枕元〉という一句に惹かれ、お目にかかった折、作句時の心境など伺うと、何となくそんな気がしたのよね、と。衒いのない句、言葉はあとから、なのである。『無尽蔵』(2006)所収。(今井肖子)


August 2582006

 一夏の詩稿を浪に棄つべきか

                           山口誓子

分の書いたものがいまだかつて無かった高みに届いていると思い込むときがある。とくに疲れている日の深夜などは危ない。朝起きると作品にもう昨夜感じた輝きは失せている。そういう錯覚はともかく、詩人はときに昂然と自らへの詩神の到来を信じて詩作に没頭し、その結果産み出したものについて、ときに深く絶望する。いわば躁と鬱の両方を創作過程の中で体験するのである。中村草田男の「毒消し飲むやわが詩多産の夏来る」はまさに躁。夏の訪れとともに身体から毒を排出して詩作に没頭し、多産するのだ。悪魔も裸足で退散するような勢いである。そして、やがて、夏の終りとともに自己否定の鬱がやってくる。多産した詩の中の一篇ですら自分にとって価値を感じられるものがない。それらを全部まとめて浪に向って放り投げたくなる。二句並べてみると詩人というものの心の抑揚がよくわかる。『七曜』(1942)所収。(今井 聖)




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