九月創刊「Zouhai_10000Pages」の準備中。時間食いムシ、金食いムシ‥‥(苦笑)。




2006N814句(前日までの二句を含む)

August 1482006

 歌舞伎座の前の混雑秋暑し

                           甲斐遊糸

の上では秋になったが、まだ暑い日がつづく。この状態が「秋暑し」だ。「残暑」に分類。体感的にも真夏並みに暑く、その上に何かの光景に遭遇すると、いっそう暑さが増してくることがある。早い話が、この時期のバス停などでむずかる赤ん坊を見かけただけで、汗が余計に噴き出す感じになったりする。先日乗った飛行機の中では、福岡から羽田まで泣きっぱなしの幼児がいた。むろん機内は冷房されていたが、その暑苦しさには辟易させられた。作者は同じような暑さを、歌舞伎座の前で体験したのだ。「混雑」は、団体観劇の一行がバスで到着したことからだろう。普段、歌舞伎座の前は繁華街から外れているので、そんなに混雑する場所ではない。たまたま通りかかった作者は、にわかに出現した混雑の人いきれに暑さがいや増したのであり、そしてもう一つ、暑く感じた要因がある。この一行は、場末の映画館に来たのではないのだから、それなりに着飾っていたことだ。団体観劇とはいえ、一等席や二等席ならチケットは一万円近くはするだろう。その金額に見あった装いとなると、女性ならば和装が多かったかもしれない。一人ひとりを別々に見れば涼しげな装いだとしても、着飾った団体ともなるとそうは見えない。そこだけが、さながら熱のかたまりのように感じられたはずだ。そんな歌舞伎座前ならではの独特の「秋暑し」を詠んだところに、長年修練を積んだ俳句の目の光りが感じられる。『朝桜』(2006)所収。(清水哲男)


August 1382006

 美しき緑はしれり夏料理

                           星野立子

わやかな句です。「美しき」から吹いてくる微風を、そのまま全体へ行き渡らせています。夏料理というと、真っ先に思い浮かぶのが冷たいもの、冷麦やそうめんですが、緑という語からすると、むしろ野菜類、ピーマンやパセリをさしているのかもしれません。最近は、夏カレーという言葉もありますから、食欲を増すために香辛料をきかせた、野菜たっぷりのカレーであってもよいでしょう。「はしれり」という動きを伴った語は、白い皿の海の上を、緑の野菜が帆を張って動くさまを想像させます。もともと「食べる」という行為は、生きることの根源に関わるものですから、表現者にとっては抜き差しならないテーマであるわけです。しかし、ここではもちろん、「生き死に」から遠い距離を持ったものとしての食事が描かれています。「緑はしれり」といえば、もうひとつ思い浮かぶのが、白いそうめんに入っている緑や赤の数本の麺です。流しそうめんであれば、まさしく「緑はしれり」となるわけです。しかし、この色つき麺は、もとはそうめんと区別するために冷麦だけにまぜたもののようです。それがのちには、そうめんにも入ったというのですから、もう、なんの意味もないわけです。なんの意味もないからこそ、緑はまさしく緑であり、わたしたちの目の中を、美しくはしるのです。『俳句への道』(1997・岩波文庫)所載。(松下育男)


August 1282006

 踊り込む桟敷の果の見えぬまま

                           稲畑汀子

題は「踊」で秋。旧暦の七月、旧盆の盆踊のこと。この句の場合は阿波踊、詠まれたのはちょうど一年前である。踊り込んでいるのは作者自身で、七回目の阿波踊であったという。昨年の今頃私も阿波踊の渦の中にいた。「連」と呼ばれる集団が踊る、あちこちに輪を作り踊る、裏通りで一筋の笛に踊る、皆明るい。出を待ちながら見上げる桟敷は高くどこまでも続いて見えるが、一歩を踏み出せばあとはただ踊るのみ、体の芯に不思議な灯がともる。今日から始まる阿波踊、今年も盆の月が濡れていただろうか。俳誌「ホトトギス」(2006年1月号)所載。(今井肖子)




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