今日から阪神中日三連戦。ここが今季セの天王山、ここが正念場なり。(哲




2006ソスN8ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 1182006

 昆虫のねむり死顔はかくありたし

                           加藤楸邨

虫は「こんちゅう」と読み、死顔は「しにがお」と読む。昆虫は、季題「虫」とは本意から言っても、ここで用いられた意味から言ってもまったく異なる。これはあくまで、昆虫一般であり、その意味では、この句は無季の句である。この句、1946年(昭和二十一年)の作。終戦直後の混乱が世を覆う中、この年、楸邨自身は中村草田男から公開質問状「楸邨氏への手紙」を示され戦中の俳人としての動向について戦争責任を問われる。当時の楸邨の暗い心の風景がこの句に映し出されている。しかし、そういう「知識」を捨ててこの一句にあたるとき、あらゆる昆虫のさまざまな顔がしずかに浮び上がり、作者の「かくありたし」の願いが切実に読者に迫る。「もの」のリアルから発するということが何よりも大切で、その実感を生かすためには、季題もリズムも定型も独自のかたちに変えることを辞さないという楸邨の優先順位が見えてくるのである。句集『野哭』(1948)所収。(今井 聖)


August 1082006

 雨風の濡れては乾き猫ぢやらし

                           三橋鷹女

語は猫ぢやらし(猫じゃらし)で秋。緑の花穂が小犬のしっぽに似ているので狗尾草(えのころぐさ)の呼び名もある。草花の知識の乏しい私でも言い当てることの出来る数少ない草だ。何気なく茂っているので、ことさら季節を意識せずにいたが、八月から十月頃が花期らしい。「雨風に」ではなく「雨風の」と表現したところに、雨風が勝手にやって来て猫じゃらしをずぶ濡れにしては乾き、またやって来ては乾きと、いたぶられることが他人事みたいな余裕が感じられる。道端にのほほんと穂を揺らすこの草にはなるほどそんな風情がある。自我を中心にした個性的な句を数々ものにした鷹女五十歳の作。戦中戦後の暗い時代を経てようやく来し方を振り返る余裕も出来たのだろう。老いへ向う人生の節目を迎えた鷹女が気負いなく猫じゃらしを詠んだことで、この草の持つ飄々としたたくましさがさらりと描き出されたように思う。『白骨』(1952)所収。(三宅やよい)


August 0982006

 閑さや岩にしみ入蝉の声

                           松尾芭蕉

蕉のあまりにも有名な句ゆえ、ここに掲げるのは少々面映いけれど、夏の句としてこの句をよけて通るわけにはいかない。改めて言うまでもなく『おくのほそ道』の旅で、芭蕉は山形の尾花沢から最上川の大石田へ向かうはずだった。けれども「一見すべし」と人に勧められ、わざわざ南下して立石寺(慈覚大師の開基)を訪れて、この句を得た。「山上の堂にのぼる。岩に巌を重ねて山とし、松栢年旧、土石老て苔滑に、岩上の院々扉を閉て、物の音きこえず。云々」と記してこの句が添えられている。麓の仙山線・山寺駅で下車して、私は二回その「山上の堂」まで登ったことがある。見上げると切り立つ急峻に圧倒されるが、てっぺんまでは三十分くらいで登れた。一回は1997年8月、秋田からの帰りに種村季弘さんご夫妻と一緒に登った。天地を結ぶ閑けさとただ蝉の声、それは決して喧騒ではなく澄みきった別乾坤だった。あたりをびっしり埋め尽くした蝉の声に身を預け、声をこぎ分けるようにして、汗びっしょりになりながら芭蕉の句を否応なく体感した。奇岩重なる坂道のうねりを這い、途中の蝉塚などにしばし心身を癒された。芭蕉の別案は「山寺や石にしみつく蝉の声」だが、「しみ入」と「しみつく」とでは、その差異おのずと明解である。(八木忠栄)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます