パソコンからCDを取り出すのが奥の手を使っても苦しくなってきた。寿命かもしれない。




2006ソスN6ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 2562006

 素麺を 食ぶる役者の 顔憤怒

                           石川鐵男

語は「素麺(そうめん)」で夏。一読、噴き出してしまった。いや、笑ったりしたら、句の「役者」さんには大いに失礼ですよ。でも、句が笑わせてくれるように作られているのだから仕方がない。作者は、ビジネス・ソフト「勘定奉行」などのTV-CMを手がけてきた人である。さきごろ「百鳥叢書」の一冊として出版された『ぼくの細ぃ道』(副題には「俳句日記」とあり、表紙の惹句には「カミさんに逃げられた男の台所」とある)に載っていた句だ。だから、これは作者の仕事の流れのなかでの実景だろう。何があったのかは知らないが、とにかく役者は怒っているのである。しかし、いまは食事時なのである。出された素麺に、烈火のごとき表情のまま、すぐに手を出して食べはじめた。というのが物の順序であるはずだが、作者はこの順序をひっくり返して逆に詠んでいる。まずは素麺を食べている役者を少し距離をおいて詠み、その顔をさながらカメラで急にアップしたかのように見てみたら、そこにあったのは「憤怒」の形相であった。つまり、この句は最初に役者が怒っていることを隠しているから面白いのだ。さすがはCM作りのベテランらしい発想である。それにしても、憤怒の感情を抱きながらも、なお食うべきときにはとりあえず食っておくというのは、プロの役者の根性ヤクジョでもあり、どこか哀しい職業的な習性でもある。私も二十年ばかりラジオ界にいたので、こうした役者の振る舞いはよくわかる。役者やタレントは、結局のところ身体が資本だ。彼らはそのことをよく知っているので、出された食事は、どんな精神状態であろうとも、また美味かろうがまずかろうがおかまい無しに、見事に食べてしまう。不愉快な気分だから何となく食べないなどと言う人間は、まだまだこの世界では素人なのだ。そして放送局や舞台の楽屋などで、日常的に彼らが何を食べているのか。それを知ったら、たいていのファンはきっと幻滅するにちがいない。(清水哲男)


June 2462006

 一本のバナナと昭和生まれかな

                           北迫正男

語は「バナナ」で夏。この句の感傷的感慨がわかるのは、「昭和生まれ」といっても、戦前の昭和に生まれた人たちだろう。私も含めて、その世代が子どもだったころの「バナナ」に執した思いには熱いものがあった。当時のバナナは高価であり、したがって今のようにそこらへんで気楽に房ごと買えるような果物ではなかった。リンゴなどもそうだったが、病気になったときとか、何か家で良いことがあったときとか、そういうときでもないと口に入らなかったのだ。だから、当時の人気漫画であった島田啓三『冒険ダン吉』のダン吉少年が、南洋の島でバナナにぱくつく様子が、如何にうらやましく目に沁みたことか。そして敗戦後ともなれば、昨日も書いたように、バナナどころの話ではない食糧難時代に突入する。そんなわけで、戦前の昭和生まれにとって、まさにバナナは魅惑の食べ物だったと言えよう。するすると皮を剥くと、ちょうどかぶりつきやすい太さの黄色い果肉があらわれて、一口噛めばえも言われぬ香りと甘さが口中に広がるときの至福感。そんなバナナを私が戦後再び口にできたのは、十代も終わり頃ではなかったろうか。そしていつしか、気がついてみたらバナナは巷に溢れていた。果物屋や八百屋だけではなく、そこらのスーパーマーケットでも、昔に比べれば「超」がつくほどの安値で売られている。だが、いくら安価になっても、いつまで経っても、そうした世代がバナナを前にすると、昔の憧れの気持ちがひとりでによみがえってきてしまう。句の作者は、いまちょうどそんな気分なのだ。すっかり昭和の子に戻って、「一本のバナナ」をしばし見つめているのである。「俳句」(2006年7月号)所載。(清水哲男)


June 2362006

 蛍より麺麭を呉れろと泣く子かな

                           渡辺白泉

語は「蛍」で夏。敗戦直後の句だ。掲句から誰もが思い出すのは、一茶の「名月を取てくれろとなく子哉」だろう。むろん、作者はこの句を意識して作句している。とかく子どもは聞き分けがなく、無理を言って親や大人を困らせるものだ。それでも一茶の場合は苦笑していればそれですむのだが、作者にとっては苦笑どころではない。食糧難の時代、むろん親も飢えていたから、子供が空腹に耐えかねて泣く気持ちは、痛いほどにわかったからだ。こんなとき、いかに蛍の灯が美しかろうと、そんなものは腹の足しになんぞなりはしない。それよりも、子が泣いて要求するように、いま必要なのは一片の麺麭(パン)なのだ。しかし、その麺麭は「名月」と同じくらいに遠く、手の届かないところにしかない。真に泣きたいのは、親のほうである。パロディ句といえば、元句よりもおかしみを出したりするのが普通だが、この句は反対だ。まことにもって、哀しくも切ないパロディ句である。あの時代に「麺麭を呉れろ」と泣いて親を困らせた子が、実は私たちの世代だった。腹の皮と背中のそれとがくっつきそうになるほど飢えていた子らは、その後なんとか生きのびて大人になり、我が子には決してあのときのようなひもじい思いをさせまいと、懸命に働いたのだった。そして、気がついてみたら「飽食の時代」とやらを生み出していて、今度は麺麭の「捨て場所」づくりに追われることにもなってしまった。なんという歴史の皮肉だろうか。そしてさらに、かつて麺麭を欲しがって泣いた子らの高齢化につれ、現在の公権力が冷たくあたりはじめたのは周知の通りだ。いったい、私たちが何をしたというのか。私たちに罪があるとすれば、それはどんな罪なのか。『渡邊白泉全句集』(2005)所収。(清水哲男)




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