気がつかないままに夏至が過ぎてしまった。冬至と違って何の行事もないからなあ。




2006ソスN6ソスソス22ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 2262006

 さるすべり辞令束なす半生よ

                           五味 靖

語は「さるすべり(百日紅)」で夏。我が家の窓から見える「さるすべり」はまだ花をつけていないが、そろそろ咲きはじめた地方もあるだろう。この花は、なにしろ花期が長い。秋風が立ちそめても、まだ咲いている。その長い花期の時間が、作者の「半生」のそれに重ね合わされているのだろう。どこか遠くを見るような目で花を見上げながら、作者はぼんやりと来し方を振り返っている。そして、思えば「辞令束なす半生」だったと……。そこには良く今日まで無事に勤め上げてきたものだという感慨と、しかしその間に失ってきたもののことも思われているようで、句にはうっすらとした哀感が漂っている。暑さも暑し。だが、真夏の昼間にも、人は物を想うのである。私はサラリーマン生活が五年ほどと短かったので、むろん束なす辞令とは無縁で来た。でも、その間に三度の入退社があり人事異動もあったので、五年にしては辞令の数は多かったのかもしれない。で、最も役職の高い辞令をもらったのが二十八歳のときだったと思う。辞令には「課長代理待遇」に任ずると書いてあった。ぺーぺーの二十代にしては、けっこうな出世である。と、客観的にはそう思われるだろうが、しかし、話は最後まで聞いてみないとわからない。そんな辞令を会社が交付したのは、単なる給与調整のためだったからだ。その会社に私は途中入社したので、同年代の同僚に比べてかなりの安月給。その辺を横並びに、つまり私の給料を少し上げるために、会社は苦肉の策で「課長代理待遇」なる架空に近いポストをひねり出し、それをもって給料アップの根拠としたのだった。そんな辞令をもらっても、だから依然としてぺーぺーであることに変わりはなかったのである。『武蔵』(2001)所収。(清水哲男)


June 2162006

 東京都式根無番地磯巾着

                           曽根新五郎

っきり夏の季語とばかり思っていたら、「磯巾着(いそぎんちゃく)」は春だった。ま、いいか。春の季語にした理由は、どうやら春にいちばん数多く見られるからということらしい。「式根」は式根島で、東京から南に160キロの太平洋に浮かぶ小さな島だ。ただし、伊豆七島の数には入っていない。新島の属島という扱いで、式根の住所は「東京都新島村式根島255番地1」などと表示される。この句は、「無番地」と磯巾着の取り合わせが面白い。無番地ゆえに人は居住しておらず、すなわち人影も無く、浜辺には磯巾着のみが散在して静かに暮らしている。磯巾着に郵便物が来ることはないから、無番地でもいっこうに構わないわけだが、しかし無番地に平気で住んでいるというのは、どことなく可笑しいし、いくばくかの哀しさも感じられる。とまあ、初読の感想はこのようであった。おそらくは作者の狙いも、このあたりにありそうである。しかし、ちょっと気になったので「無番地」のことを調べてみた。そうすると、まず無番地とは、いわゆる地番が無いことではなく、「無」というれっきとした地番があるということだった。たとえば「神奈川県横須賀市田浦港町無番地」といった「無番地地番」は、全国に数えきれないほどある。それこそ伊豆諸島の有人の島ては最南端にある青ヶ島の地番は、全島が無番地だ。では、なぜ無番地なのかと言えば、もともとが番地の無い国有地が払い下げられたものだったり、自治体がとりあえず無番地とした土地がそのままになっていたり、あるいは川などを埋め立てた新しい土地だったりと、一言では定義できないほどに様々である。実は東京の四谷駅も無番地なんだそうで、無番地にも人はたくさんいる場合があるということがわかった。となれば、掲句の無番地はどう解釈すべきなのか。なんだか、よくわからなくなってきてしまったが、作者はやはり人里離れた土地という意味で使ったのだろうと、一応はそうしておきたい。『合同句集 なかむら 1』(2006)所載。(清水哲男)


June 2062006

 金魚の本此の世は知らないことばかり

                           大菅興子

語は「金魚」で夏。「金魚の本」とは図鑑の類いではなく、飼い方などが説明されている本だろう。いわゆる入門書だ。金魚を飼うことになり、書店で求めてきた。開いてみて、金魚については多少の知識はあると思っていたのに、読んでいくと次々に「知らないことばかり」が書かれてあった。呆然というほどではないけれど、少しくうろたえてしまったと言うのである。金魚についてすらこうなのだから、私には「此の世に」知らないことが、どれほどあることか。そう考えると、今度は本当に呆然としてしまうのだった。その通りですね、同感です。ちょっと脱線しますが、私は若い頃、入門書なんてと小馬鹿にしているようなところがありましたが、いまでは心を入れ替えて、何かをはじめるときには必ず丁寧に読むようにしています。というのも、まあお金のためではありましたが、三十代の頃に、少女のための詩の入門書を書いたことがあります。そのときに、書きながらつくづく思い知らされたのは、入門書ほど正確な知識と明晰な書き方を要求される本はないということでした。いわゆる言葉の綾で伝えようとか、筆先で以心伝心を願うとかといった書き方は、いっさい通用しません。あくまでも正確に明晰にと筆を進めなければならず、掲句の作者とは反対の立場からですが、私はなんと物を知らないできたのかと、それこそ呆然としたことを覚えています。以来、どんな入門書にも敬意をはらうことになったというわけです。戦後の詩の入門書で白眉と言えるのは、鮎川信夫の『現代詩作法』でしょう。私も多大な影響を受けましたが、著者である鮎川さんも入門書好きな方で、何かをはじめる前には必ず読まれていたそうです。たとえそれがゴルフであっても、畳の上の水練と言われようとも、まずは入門書を熟読してからはじめられたという話が、私は好きです。『母』(2006)所収。(清水哲男)




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