今夕、60年安保全学連中執などによる国会デモ。平均年齢70歳。はるかなり、6・15。




2006ソスN6ソスソス15ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 1562006

 憂き人を突つつきてゐる鹿の子かな

                           藤田湘子

語は「鹿の子(かのこ・しかのこ)」で夏。鹿は、四月中旬から六月中旬に子を産む。親鹿のあとについて、甘えるように歩いている子鹿は可愛らしい。「憂き人」とは、他ならぬ作者のことだろう。鬱々とした心には、寄ってくる可愛い子鹿も邪魔っけに思えるばかりだが、そんな人間の心理などにはおかまいなく、ふざけて何度も突っつきにくる。そぶりで「あっちに行け」とやってみても、なおも子鹿は突っつくことを止めないのだ。そんな子鹿の無垢なふるまいには、とうてい勝てっこない。すっかり持て余しているうちに、ふっとどこからか可笑しさが込み上げてきた。といって鬱の心が晴れたわけではないのだけれど、いま自分の置かれている状態を、客観的に見るゆとりくらいは生まれたということか。自分のことを「憂き人」と少し突き放して詠んでいるのは、そんな理由によるのだと思う。鹿の子に限らず、人間の子でも、まだ顔色をうかがうことを知らない年齢だと、よく同じようなふるまいをする。無垢は無敵だからして、始末に困る。中学生のとき、三歳の女の子があまりに悪ふざけを仕掛けてくるので本気で喧嘩をしてしまい、大いに反省したことがある。以後は、そのような事態になりかかると、三十六計を決め込むことにしているが、「憂き人」にはそうした身軽さはないであろうから、いささか腹立たしく思いながらも、ただぼんやりと突っ立っているしかないのであろう。そんな人間と無垢な鹿の子との様子を、少し離れた場所からとらえてみたら、ちょっと面白い光景が見えてきたというわけだ。遺句集『てんてん』(2006)所収。(清水哲男)


June 1462006

 幼子に抽出一つ貸して梅雨

                           市村究一郎

語は「梅雨」。ふけとしこさんから、近著の『究一郎俳句365日』をいただいた。俳誌「カリヨン」主宰である市村究一郎の句を、一日一句ずつ一年間にわたって書き続けた鑑賞集だ。同一俳人の句を長期にわたって鑑賞した本も珍しいが、ふけさんの持続力も素晴らしい。掲句は、その六月の項にあった一句。しとしとと表は降っているので、「幼子」は遊びに出られず退屈している。たぶん、お孫さんだろう。それを何とかしてやろうと、作者は机の抽出(ひきだし)を一つ空にして貸してやったというのである。総じて幼い子は、箱の類が好きだ。理由はわからないが、段ボール箱一つ与えておけば、いつまでも物を出したり入れたり、ときには自分が入り込んだりして遊んでいる。したがって、とうぜん抽出にも関心を示すわけで、ふけさんは書いている。「機嫌よく遊ぶ子と苦笑しつつも見守っている作者の優しさが微笑ましい」。私は一読、作者のこの抽出を貸すという発想が素敵だと思った。作者が理屈からではなく、直感的に幼子の好奇心を満たす方策を思いついたところが、だ。こういうことは、案外幼子の若い両親などは思いつかないのではあるまいか。そこには、祖父と孫という年齢差から生じる不思議な親和性があるようだ。最近読んだ吉本隆明の『老いの流儀』のなかに、こんな件りが出てくる。「老人は幼稚園や中学一、二年までの子供たちだったらうまが合うんです。老人はだんだんと死に向かい、子供たちはこれから育っていく。そういう関係がいちばん合うんです」。これまた理屈ではなく、高齢者になった吉本さんの実感が言わしめた言葉だ。そこで、老人ホームを新設するのだったら幼稚園を隣接してほしいと、吉本さんは提言している。『庭つ鳥』(1996)所収。(清水哲男)


June 1362006

 ナイターの外くらがりを壜積む音

                           町山直由

語は「ナイター」で夏。大勢の人が楽しむ場所には、必ず裏方がいる。あまり人目につかないところで、働いている人がいる。掲句も、そんな場所で働く人のいる情景を描いたものだ。頭上には煌々たるナイターの光があるので、外の「くらがり」は余計に暗く感じられる。そのくらがりにいる人は見えないが、壜を積む音だけが聞こえてくる。球場のレストランなどから出た空き瓶の回収だろうか。場内のにぎわいとは対照的に、つづけられている地味な作業の様子を、壜を積む音のみで伝えているところが秀逸だ。作者はただそのことだけを客観的に書いているのだが、読者には孤独に壜を積む人の心の内をのぞきこんだような後味が残る。同じように球場のくらがりを詠んだ句に、桂信子の「ナイターの灯の圏外に車群る」がある。同じくらがりに着目しても、人の想いはさまざまだ。面白いものである。球場の仕事で思い出したが、まだ電動化されていなかった頃の甲子園のスコアボードの内部を見せてもらったことがある。スコアを表示する原理はきわめて簡単で、点数や選手の名が書かれたボードを、その都度巨大な箱に穿たれた穴の背部に嵌め込んでいくだけだ。とはいえ、その一枚一枚のボードが大きく、しかも真夏ともなれば箱の中の温度は地上の比ではないから、相当な重労働であったろう。昔、野球を見に行くと、ときどきスコアボードの穴から顔を出しているおじさんが見えたものだが、あれはたぶん中が暑くて辛抱たまらなかったからなのだろうと、その折に納得したのだった。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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