昨日は銀座。万太郎にこういう銀座の句も。「忍(のび)、空巣、すり、掻ッぱらひ、花曇」。




2006ソスN5ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 3052006

 セルむかし、勇、白秋、杢太郎

                           久保田万太郎

語は「セル」で夏。薄手のウールのことで、初夏の和服に用いられ、肌触りが良く着心地が良い。。明治になって織られはじめ、一時大流行したという。掲句には「『スバル』はなやかなりしころよ」の前書きがある。「セル」を着る季節になって、作者はその大流行の時期に文芸誌「スパル」で活躍した何人もの文人たちを、懐かしく思い出している。「勇」は歌人の吉井勇のことだが、あるいは句の三人がセルを着て写っている写真があるのかもしれない。石川啄木が編集長だった創刊号が出たときには、作者は十歳くらいであったから、その後の多感な少年期にリアルタイムで「スバル」を読み、大いに刺激を受け啓発されたのだったろう。しかも、その執筆メンバーの、なんとはなやかで豪華だったことか……。この他にも、森鴎外がいたし与謝野晶子がいたし、若き高村光太郎も参加していた。この句には、いかにも文壇好きという万太郎の体質が出ているけれど、ひるがえってもはや後年、こうして懐旧されることもないだろう現代の文学界に対して、こういう句を読むと寂しさを覚える。なかで「俳壇」だけは現在でもかろうじて健在とは言えそうだが、しかし半世紀後くらいにこのように懐かしんでくれる読者がいるだろうかと思うと、はなはだおぼつかない。その要因としては、むろん明治や大正とは違い、メディアの多様化や受け手の関心の細分化などがあるとは思う。が、しかしジャンルとしては昔のままの文学様式はまだ生きているのだから、そこには志や情熱の熱さの往時との差があるのかもしれない。物を書いて飯が食えなかった時代と食える時代との差。そう考えることもできそうだ。俳誌「春燈」60周年記念号(2006年3月)所載。(清水哲男)


May 2952006

 草刈女朝日まぶしく人を見る

                           西村公鳳

語は「草刈女(くさかりめ)」で夏、「草刈」に分類。牛馬の飼料や堆肥にするために、草刈は夏の大切な農作業の一つだった。たいていは、早朝に刈ったものだ。朝早くのほうが草が濡れているので、鎌が使いやすいということもあるが、それよりも日が高くなると暑いからという理由のほうが大きいだろう。主に、女性の仕事だった。この句は、そんな草刈の一場面だ。早朝なのでめったに人も通らないから、たまに通りかかると、鎌の手を休めて「誰かしらん」と顔を上げるのである。すると、朝の低い太陽が目に入って「まぶしく」、ちょっと目をしばたかせながら「人」、つまり作者を見たのだった。いかにも農村の朝らしい、清々しくも人間味のある情景ではないか。草刈といえば、坪内稔典が近著の『季語集』(2006・岩波新書)に、こんなことを書いている。「かつて私が勤務していた京都教育大学では、年に二度、教職員と学生が総出でキャンパスの草刈りをした。乏しい予算をカバーするためにはじまった草刈りだが、予算のことなどを忘れ、みんなが半日の草刈りを楽しんだ」。この件を読んで、私は少年期に同じような体験をしたことを思い出した。ただし「総出」でではなく、似たような学校の事情からだったと思うが、それぞれの生徒に草を刈って学校に持参するようにと「宿題」が出た。みんな文句の一つも言わずに持っていったけれど、あれらの草を売った代金はいくらぐらいになって、何のために使われたのだろうか。父兄にはおそらく報告があったのだろうが、いま、不意にそれを知りたくなった。けっこう重労働だっもんなあ……。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


May 2852006

 クレヨンの黄を麦秋のために折る

                           林 桂

語は「麦秋、麦の秋」で夏。子どものころの思い出だ。ちょうど今頃の田園風景を写生していて、一面の麦畑を描くのに「クレヨンの黄」を頻繁に、しかも力を込めて描いていたので、ポキリと折れてしまった。「しまった」と思ったが、もう遅い。仕方なく、折れて短くなったクレヨンで描きつづけたのだろう。短いクレヨンは描きにくいということもあるが、子どもにとってのクレヨンは貴重品だから、まずは折ってしまったそのことに、とても動揺したにちがいない。それが証拠に、大人になっても作者はこうして、麦秋の季節になるとそのことを思い出してしまうのだから……。そんな子ども時代の失敗も、しかしいまでは微笑しつつ回顧することができる。過ぎ去れば、すべて懐かしい日々。年齢を重ねれば重ねるほどに、この思いは強くなってゆく。そういえば、昔のクレヨンは色数が少なかった。私の頃には、せいぜいが10色か12色。なかには6色なんてのも、あったっけ。だから、折ってしまうと余計に悲しくなったわけだが、私の娘の小学生時代になると、色数も増え豪華になった。娘がはじめてクレヨンを買った日に、私はしばらくうっとりと眺めた記憶がある。『銅の時代』(1985)所収。(清水哲男)

{掲句の解釈}読者の方から、わざとクレヨンを折って、すなわちエッジを立てて麦の穂を描いた。と、体験談をいただきました。そうですね、「麦秋のために」の「ために」は、「わざわざ」という意味を含みますから…。「麦秋のせいで」と解釈した私の解釈は、ゆらいできました。




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