必要があって図書館でマンの『ヴェニスに死す』を借りた。昔読んだような初読のような。




2006ソスN5ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 2452006

 夏の日の匹婦の腹にうまれけり

                           室生犀星

語は「夏の日」。「匹婦(ひっぷ)」とは、いやしい女の意だ。作者は自身で何度も書いているが、父の正妻ではない女性の子であった。いま私は、犀星の最後の作品『われはうたへどもやぶれかぶれ』を読んでいる。年老いて身動きもままならぬ自分を、徹底的に突き放して書いた、すさまじい私小説だ。掲句もそうであるように、作家としての犀星の自己暴露は、終生首尾一貫していた。生まれてすぐに生家の体面上、他家にやられた作者にはほとんど母親の記憶がない。わずかな記憶は、「殆醜い顔に近い母親だった」ことくらいだ(『紙碑』)。この句に触れて、娘の室生朝子が書いている。「犀星は膨大な作品を残したが、そのなかで数多くの女性を描いた。(中略)ひとつの作品のなかで生きる女は、犀星の心の奥に生きている、形とはならない生母像と重なり合いながら、筆は進んでいく。犀星はどのように難しいプロットを小説のために組み立てるよりは、好きなように女を書く楽しみのなかに、苦しみと哀しみが重なり合っていたのではないかと思う。/この一句は犀星の文学を、あまりにもよく表している、すさまじい俳句である」。犀星は幻の実母の死を、父親の先妻に告げられて知った。彼女は、こう言ったそうだ。「あれは食う物なしに死んだのです」。つまり、餓死ということなのか。それにしても、いかに憎い相手だったとしても、故人を指して「あれ」とはまた、すさまじい言い方だ。犀星という作家は、そんなすさまじい体験を逆手に取って、珠玉のような作品をいくつも書いたのだった。まことに、すさまじい精神力である。『鑑賞現代俳句全集・第十二巻』(1981)所載。(清水哲男)


May 2352006

 更衣して忘れものせし思ひ

                           柴田多鶴子

語は「更衣(ころもがえ)」で夏。旧暦時代には四月一日、衣服だけではなく、室内の調度や装飾の類を夏のものに更新することを言った。新暦になってからは六月一日にするところが多くなったが、昨日の「asahi.com」に、こんな記事が出ていた。「神戸市灘区の松蔭中学・高校の女子生徒たちが22日、一足早く衣替えをし、夏服で登校した。神戸市内の今朝の最低気温は平年より3度高い19.2度。半袖の白いワンピースに身を包んだ生徒たちは、朝から照りつける初夏の日差しを浴びながら、学校までの長い上り坂を元気に歩いた」。女生徒たちの写真も添えられていて、まさに「夏は来ぬ」の感じだった。福永耕二に「衣更へて肘のさびしき二三日」があるが、どうなんだろう。私などは福永の句に同感するけれど、まだ若さの真っ只中にある女生徒たちにとっては、半袖の「肘のさびしさ」よりも開放感から来る嬉しさのほうが強いのではなかろうか。ただ、いくら若くても、掲句のような気持ちにはなるだろう。昨日までの冬の制服の厚みや重さが突然軽くなるのだから、それこそ「二三日」の間は、毎朝ように何か「忘れもの」をしたような頼りない気分が、ふっと兆してきそうな気がする。学校の制服制度の是非はともかく、もはや当事者ではなくなった私などには季節の変化を知ることができ、また一つの風物詩として、毎夏新鮮な刺激として受け止めている。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


May 2252006

 五月晴ピアノの横の母の杖

                           吉野のぶ子

語は「五月晴」で夏。慣行上「梅雨晴」に分類しておくが、もはや五月晴は本来の意味から遠く離れて使われている。本意は、じめじめとした梅雨のなかの晴れ間を言った。が、現在では新暦五月の晴天を言うことになってしまったので、「五月晴」とは言っても、昔のそれのように、久方ぶりの晴天に弾むような嬉しさを表現する言葉ではなくなってしまった。季語にもいろいろあるが、「五月晴」のように極端に本意がずれてしまった例は、そんなにはないだろう。掲句の場合は、どちらの本意に添っているのかわからないけれど、句意からすると、現代のそれと読むのが妥当かと思われる。五月という良い季節を迎えてはいるのだが、ピアノの横には「母の杖」がぽつねんと置かれたままなのだ。ということは、作者の母は連日の好天にもかかわらず、外出していないことをうかがわせる。このピアノもおそらく若かりし日の母が弾いていたものだろうし、杖は脚が少し不自由になりかけたときに、母が使って外出していたものである。すなわち、若い頃にはビアノを弾くようなモダンで活発だった彼女が、だんだんと弱ってきて、しかしそれでも杖をついて外出していたというのに、それも今はかなわなくなった。そのことを、ビアノの横の杖一本で表現し得たところが俳句的であるし、母についての作者の感情を何も述べていないところに、読者は想像力を刺激され、何かもっと具体的に言われるよりも切なくなるのである。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)




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