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May 2452006

 夏の日の匹婦の腹にうまれけり

                           室生犀星

語は「夏の日」。「匹婦(ひっぷ)」とは、いやしい女の意だ。作者は自身で何度も書いているが、父の正妻ではない女性の子であった。いま私は、犀星の最後の作品『われはうたへどもやぶれかぶれ』を読んでいる。年老いて身動きもままならぬ自分を、徹底的に突き放して書いた、すさまじい私小説だ。掲句もそうであるように、作家としての犀星の自己暴露は、終生首尾一貫していた。生まれてすぐに生家の体面上、他家にやられた作者にはほとんど母親の記憶がない。わずかな記憶は、「殆醜い顔に近い母親だった」ことくらいだ(『紙碑』)。この句に触れて、娘の室生朝子が書いている。「犀星は膨大な作品を残したが、そのなかで数多くの女性を描いた。(中略)ひとつの作品のなかで生きる女は、犀星の心の奥に生きている、形とはならない生母像と重なり合いながら、筆は進んでいく。犀星はどのように難しいプロットを小説のために組み立てるよりは、好きなように女を書く楽しみのなかに、苦しみと哀しみが重なり合っていたのではないかと思う。/この一句は犀星の文学を、あまりにもよく表している、すさまじい俳句である」。犀星は幻の実母の死を、父親の先妻に告げられて知った。彼女は、こう言ったそうだ。「あれは食う物なしに死んだのです」。つまり、餓死ということなのか。それにしても、いかに憎い相手だったとしても、故人を指して「あれ」とはまた、すさまじい言い方だ。犀星という作家は、そんなすさまじい体験を逆手に取って、珠玉のような作品をいくつも書いたのだった。まことに、すさまじい精神力である。『鑑賞現代俳句全集・第十二巻』(1981)所載。(清水哲男)




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