ひさしぶりにウィルス検知ソフトでスキャンしてみたら、「トロイの木馬」が五頭も……。




2006ソスN5ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 1752006

 もめてゐるナイターの月ぽつねんと

                           清水基吉

語は「ナイター」で夏。和製英語だ。英語では「night game」と言う。なんとなく「er」をくっつけて、英語っぽい表現にすることが好まれた時代があった。六十年安保のころには「スッター」だの「マイター」だのという言葉すらあったのだから、笑ってしまう。おわかりでしょうか。いずれも学生自治会用語で、「スッター」は謄写版でビラを印刷する(刷る)人のこと、「マイター」はそうして印刷されたビラを街頭で撒く人のことだった。さて、掲句は「ナイター」見物の一齣だ。昔の後楽園球場だろうか。ドームはなかった時代の句だから、当然空も見えている。審判の判定をめぐってか、あるいは今で言う「危険球」か何かをめぐってか、とにかくグラウンドで「もめてゐる」のだ。おそらくはどちらかの監督の抗議が執拗で、なかなか引き下がらない。最初のうちはどう決着がつくのかと注視していた作者も、そのうちに飽きがきたのだろう。もうどうでもいいから、早くゲームを再開してくれ。そんな気持ちでグラウンドから目を離し、なんとなく空を見上げたら、そこには「ぽつねんと」月がかかっていた。地上の野球とは何の関係もない月であるが、目の前のもめ事に醒めてしまった作者の目には、沁み入るように見えたにちがいない。大袈裟な言い方かもしれないが、このときの作者には一種の無常観が芽生えている。確かに大観衆のなかの一人ではあるのだけれど、一瞬ふっと周囲の人間がみなかき消えてしまったような孤独感。そんな味の滲み出た佳句である。『清水基吉全句集』(2006)所収。(清水哲男)


May 1652006

 はつなつや父が革砥をつかふ音

                           大島雄作

の「革砥(かわと・かわど)」をはじめて見たのは、理髪店でだった。細長い短冊状の革が吊るしてあって、おやじさんがシュッシュッと音をさせながら、カミソリを研いでいた。刃物研ぎといえば普通の砥石しか知らなかったので、はじめは何をしているのだろうと訝しく思ったものだ。が、プロの研ぎ師は砥石で研いだあとに、その革砥で最後の細かい仕上げをするのだと聞いて納得。もっとも革砥を使うのはプロに限ったことではなく、昔はこれで、髭剃り用のカミソリを研いでいた一般の人もいたようだ。夏目漱石に「變な音」という入院体験を書いた小文がある。病室で目覚めると、毎朝のように隣室から山葵おろしで大根をするような妙な音がして、気になって仕方がない。そのうちに隣室の患者がいなくなると、音も絶えてしまった。で、あとで看護婦に聞いてわかったことには、それは患者の足の火照りを和らげるために、彼女が胡瓜をすっては冷していた音だった。ところが、その病人もまた、毎朝漱石の部屋から聞こえてくる「變な音」が気になって,よく看護婦に何の音かと尋ねたのだという。それが実は、漱石が「(自動)革砥」で安全カミソリを研ぐ音だったという話である。前置きが長くなったが、掲句の「父」は若かりし日の父だろう。そして、やはり朝のカミソリ研ぎのシュッシュッという音なのだ。「はつなつ」の清々しい雰囲気を音で描き出したところが素敵だし、また同時に元気だった頃の父親を懐かしんでいるところに哀感を覚える。『鮎笛』(2005)所収。(清水哲男)


May 1552006

 さなぶりに灯してありぬ牛小屋も

                           鏑木登代子

語は「さなぶり(早苗饗)」で夏。田植えを終えた後で、田の神を送る祭のこと。「さなぶり」の他にも、「さのぼり」「さなぼり」あるいは「しろみて」などと地方によって呼び名があり、私のいた山口県山陰の村では「どろ(泥)おとし」と言っていた記憶がある。「さなぶり」の「さ」は田の神をあらわし、その神が天にのぼっていくというので「さなぼり」「さのぼり」と言ったらしい。「どろおとし」はそのものずばりで、労働の際の泥をきれいに落とそうという意味だろう。この日の行事にもいろいろあったようだが、句のそれは、私の田舎と同じように、みんなで集まっての酒宴である。早い話が、慰労会だ。大人たちがまだ明るい時間から酔って歌などをうたっていた様子を、覚えている。句は、そんな酒宴のお裾分けということで、普段は暗い牛小屋にも「ごくろうさん」と、電気をつけてあるというわけで、心温まる情景だ。ただし、現代ではおそらくこのような「早苗饗」を行う地方は無くなっているのではあるまいか。昔の田植えは、集落あげての共同作業だったけれど、マシンが田圃に入る時代となっては、その必要もない。必然的に骨休めの時も場所も、各戸でばらばらである。そして、もはや農耕牛もいないのだから、掲句の世界も存在しない。こと農業に関しては、とても昔は良かったなどとは言えないのだが、早苗饗のような伝統行事が次々に消えていくのは、私などにはどうしても寂しく思えてしまう。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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