菜種梅雨には遅すぎ本物の梅雨には早すぎるが、東京ではしばらく雨模様の日が続きそう。




2006ソスN5ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 1052006

 裏口にいつも番犬柿の花

                           いのうえかつこ

語は「柿の花」で夏。まだ少し早いかもしれないが、関東あたりではそろそろ咲きはじめてもよい頃である。さて、いつ通りかかっても、ひっそりとしている家がある。我が家の近所にもある。番犬がいるのだから、誰かは住んでいるのだろうけれど、日常的にあまり人の気配というものが感じられない。昼間は家族がみんな外出しているのか、あるいは老夫婦あたりが静かに暮らしているのだろうか。なんとなく、気になる。そして、この番犬はいつも退屈そうにうずくまっているような感じだ。傍を通っても、べつだん吠えるでもなく睨みつけるでもない。といって愛想良く尻尾を振るでもないという、いささか覇気に欠ける犬なのだろう。もう、相当な年寄り犬なのかもしれない。そんな番犬のいる裏庭に、今年も「柿の花」が咲きはじめた。地味な花である。黄色がかった小さな白い花が、枝々の葉の根元に点々と見え隠れしている。この地味な花と気力の無い犬と、そして裏口と……。これだけの取り合わせから、この家のたたずまいのみならず、近所の情景までもが浮き上がってくるところに、掲句の妙味と魅力がある。さらりとスケッチをしただけなのに、この句の情報量はかなりのものだ。俳句ならではの力があり、作者もよくそのことを承知して詠んでいる。『馬下(まおろし)』(2004)所収。(清水哲男)


May 0952006

 山河また一年経たり田を植うる

                           相馬遷子

語は「田植」で夏。今日あたりも、掲句の感慨をもって、田植えに忙しい農家も多いだろう。子供心にも、この季節になるたびに「また一年経たり」の思いはあった。学校は農繁期休暇となり、小さい子はともかく、小学校も四年生くらいになると、みな田圃に出て植えたものだ。田植えは人手を要するので、集落の人々が協力してその地の田を順番に植えることになっており、自分の家の田だから、呑気にマイペースで植えるというわけにはいかない。どこの家の田圃であろうとも、植える時間などは一定の決まりのもとで行われていた。したがってまだ暗いうちに起き、日の出とともに田圃に入るのだったが、夏というのに早朝の田水の冷たかったの何のって、しびれて感覚がなくなるほどだった。畦から苗束がひとわたり投げ入れられると、いよいよはじまる。はじまったら、ただ黙々と植えてゆく。おしゃべりは、余計なエネルギーの浪費だからだ。はじめのうちは、田に苗を挿し込み,それをぐいと泥のなかでねじるのが難しい。しっかりねじこまないと、根付く前に浮いてきてしまう。そのうちにコツがのみこめ、なんとかいっちょまえに植えられるようにはなるのだが、なんといっても辛いのは前屈みの姿勢をつづけることからくる腰の痛みだ。ときどき腰をのばしてとんとんと叩く図は、まるで老人だった。だから、十時と三時の休憩とお昼の時間の待ち遠しかったこと。そんなだったから、大人であろうが子どもであろうが、田植えの夜は泥のように眠ったものだった。そして休暇後に学校に提出する日記には、「今日は田植えをしました。明日はもっと働きたいと思います」と書いたのである。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


May 0852006

 薫風に民謡乗せて集塵車

                           梅崎相武

語は「薫風(くんぷう)」で夏、「風薫る」に分類。青葉のなかを吹き抜けるすがすがしい風だ。さて、ゴールデンウイークが終わった。今日から、日常の生活リズムが戻ってくる。連休中は不規則だったり休みだったりしたゴミの収集も、平常通りとなる。お馴染みのメロディとともに回ってくる「集塵車」に、日常を感じる人は多いだろう。作者の暮らす地域(兵庫県尼崎市)の集塵車は「民謡」を流しながら回ってくるようだが、これは全国的にも珍しいのではなかろうか。詳しく調べたわけではないけれど、たいていの自治体では子どもなどにも親しめる童謡系のメロディを採用しているという印象が強い。民謡のタイトルはわからないが、薫風に乗って民謡の節が聞こえてくるのは素敵だ。粋でもある。とはいえ、まさかお座敷歌なんてことはないだろうから、もともとが戸外の歌であった労働の歌が心地良い風に乗って流れてくる情景を、読者はそれこそすがすがしい気持ちで想像することができる。ところで、我が自治体の三鷹市の集塵車は無音だ。無音のままにやってきて、無音のままに去ってゆく。むろん騒音公害を避けるための処置とはわかるのだが、うっかり集積所に出すのを忘れたりしたときなどには不便である。気がついてあわてて出しに行くと、もう去ったあとだったりして、がっかりだ。ただ三鷹市の場合は、連休中も、ゴミの収集は平常通りに行われた。不規則収拾になるのは年末年始だけなので、その意味から考えると,集塵車の無音にも騒音防止以上の理由があるとは言えるのだが……。『南雨』(2006)所収。(清水哲男)




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