古巣の「むさしのエフエム」にゲスト出演。社員もスタッフもほとんど知らない人ばかり。




2006ソスN4ソスソス28ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 2842006

 学やめし汝が苗札のローマ字よ

                           古島壺菫女

語は「苗札(なえふだ)」で春。畑や花壇に種を蒔いたり苗を植えたときに、品種の名前を書いた小さな木の札を立てておく。最近はあまり見かけなくなったが、小学校などの花壇や農園には健在だ。どんなふうに芽生え、どんなふうに生長するのかを待ち受け、見守っているようで微笑ましい。掲句では、その苗札がローマ字で表記されている。作者は「学やめし汝(な)」の母親か姉だろうか。「学やめし」は「学」を放棄したという意味ではなく、家庭の事情で上の学校に行くことを断念したという意味だ。いつごろの句か不明だが、まだ猫も杓子も(失礼)が高校や大学に行ける時代ではなかったころの作句だろう。当人も勉強が好きで、周囲もできることなら上級学校に行かせてやりたいと思っていたのが、そうはならなかった。進学をあきらめて、家業の農業を継いでいる。それも、継いでからはじめての春だ。そんな彼の書いた苗札の文字は、みな横文字だった。でも英語や学名ではなくて、日本語表記でも構わないところを、ローマ字で書いてあったのだ。洒落っ気からではあるまい。すなわち英語などの横文字への憧れが、彼をしてローマ字で書かしめたとしか思えない。なんという「いじらしさ」。作者はしばし、苗札のローマ字をみつめ、目を潤ませていたにちがいない。「ローマ字よ」の「よ」に、作者の複雑な思いの全てがこもる。『俳諧歳時記・春』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)


April 2742006

 春田より春田へ山の影つづく

                           大串 章

語は「春田(はるた)」。まだ苗を植える前の田のことで、掲句の情景では、水も豊かにきらきらとさざ波を立てている。車窓風景だろう。行けどもつづく春の田に、沿った山々が同じような影を落としている。単調ゆえの美しさ、いつまでも見飽きない。「自由詩」を書いてきた私などには、このような句に出会うと、まぎれもない「俳句」が確かにここにあるという感じを受ける。この情景を同様に詩に書くことは可能だろうが、しかし掲句と同様の美しさを描き出すことは難しいと思う。少なくとも私の力では、無理である。書いたとしても、おそらくはピンボケ写真のようになってしまい、この句のように視線が移動しているにもかかわらず、春田に写る山影を一つ一つかっちりと捉えて、読者に伝える自信はない。また、そういうことが頭にあるので、たまに作句を試みるときにも、この種の題材を敬遠してしまうということも起きてくる。どうしても、まずは自由詩の窓から風景や世間を覗く癖がついているので、そこからポエジーの成否を判断してしまうからだ。詩人の俳句がおうおうにしてある種のゆるみを内包しがちなのは、このあたりに原因があると思われる。そこへいくと掲句の作者などは、もうすっかり俳句の子なのであるからして、俳句様式が身体化していると思われるほどに、詩人がなかなか手を触れられない題材を自在に扱って、ご覧の通りだ。句柄は地味だが、ここで「俳句」は最良の力を発揮している。『大地』(2005)所収。(清水哲男)


April 2642006

 春日遅々男結びの場合は切る

                           池田澄子

語は「春日(はるび)」、「春の日」に分類。春の日光と春の一日を指す二つの場合があるが、掲句では後者である。のどかに長い春の一日だ。すなわち時間はたっぷりあるのだけれど、なにせ「男結び」は固くてほどきにくいから、無駄な努力はやめてハサミでぷっつりと切ることにしている。でも、それが「女結び」だったら、きちんとほどくことも決めている。そういう意味だろう。癇癪を起こすというほどではないのだが、「切る」という気短さと悠々たる「春日遅々」の時間の流れとの対比が絶妙だ。こういう句は、あるいはいまの若者には理解されないかもしれない。彼らの多くは紐は切るものだし、包装紙などは破るものだと心得ているらしいからである。だが、作者や私の若い頃は違った。紐はていねいにほどき、包装紙なども破らずに皺をのばして保存しておき、いまどきの言葉で言えば「再利用(リサイクル)」するように教え込まれていた。だから、物の豊かな時代になってもその習慣から抜けきれず、小さな包みの細い紐一本を切るにさえ勇気を必要としたのである。そうして保管してきた紐や包み紙がいっぱいたまっているのは、間違いなく私の年齢くらいから上の世代の戸棚や引き出しなのだ。したがって掲句を読んで、瞬間的に「ア痛ッ」と思わない世代には、句の含んでいる一種のアイロニーは伝わらないだろう。この決然たる「勇気」の味を賞味できないだろう。「俳句」(2006年5月号)所載。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます