巨人快調なるも視聴率悪し。見ていて楽しく華のある選手がいなくなったせいだと愚考する。




2006ソスN4ソスソス26ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 2642006

 春日遅々男結びの場合は切る

                           池田澄子

語は「春日(はるび)」、「春の日」に分類。春の日光と春の一日を指す二つの場合があるが、掲句では後者である。のどかに長い春の一日だ。すなわち時間はたっぷりあるのだけれど、なにせ「男結び」は固くてほどきにくいから、無駄な努力はやめてハサミでぷっつりと切ることにしている。でも、それが「女結び」だったら、きちんとほどくことも決めている。そういう意味だろう。癇癪を起こすというほどではないのだが、「切る」という気短さと悠々たる「春日遅々」の時間の流れとの対比が絶妙だ。こういう句は、あるいはいまの若者には理解されないかもしれない。彼らの多くは紐は切るものだし、包装紙などは破るものだと心得ているらしいからである。だが、作者や私の若い頃は違った。紐はていねいにほどき、包装紙なども破らずに皺をのばして保存しておき、いまどきの言葉で言えば「再利用(リサイクル)」するように教え込まれていた。だから、物の豊かな時代になってもその習慣から抜けきれず、小さな包みの細い紐一本を切るにさえ勇気を必要としたのである。そうして保管してきた紐や包み紙がいっぱいたまっているのは、間違いなく私の年齢くらいから上の世代の戸棚や引き出しなのだ。したがって掲句を読んで、瞬間的に「ア痛ッ」と思わない世代には、句の含んでいる一種のアイロニーは伝わらないだろう。この決然たる「勇気」の味を賞味できないだろう。「俳句」(2006年5月号)所載。(清水哲男)


April 2542006

 相合傘の雫や春の鶴揺れて

                           鳥居真里子

語は「春の鶴」。ということになるが、はて「春の鶴」とは、どういう鶴を作者はイメージしているのか。秋に渡来し越冬した鶴は、春になると北に帰っていく。これを俳句では「引鶴(ひきづる)」と言い、春の季語としているが、この渡り鶴のことだろうか。「春の雁」という季語は定着しているので、その応用かもしれない。便宜上、当歳時記では「引鶴」に分類してはおくが、北海道に生息する「丹頂」は留鳥で渡らない。これもまた立派に「春の鶴」と言えるわけで、悩ましいところだ。それはさておき、一読、美しい句だと感じた。「相合傘」とはまた古風な物言いだけれど、むろん作者はそれを承知で使っているわけで、十分に効果的である。柔らかい春の雨のなか、肩を触れ合うようにして一本の傘に入って歩いている男と女。傘からは雨の「雫(しずく)」が垂れてきて、その雫を通して「春の鶴」が見えているのである。雫が垂れてくるたびに、鶴の姿はレンズを通したようにぼおっと揺れて拡大され、雫が落ちてしまうとその姿は遠くに去ってしまう。実際にはそんなふうには見えていなくても、句の作者の意図を汲めば、そうした美的な構図が浮かんでくる。相合傘は古風だけれど、句自体は雫を透かすという視点を得て、見事に新鮮でありロマンチックだ。いつまでも、このまま歩いていたい。傘の二人は、きっとそう思っているだろう。「俳句界」(2006年5月号)所載。(清水哲男)


April 2442006

 栞ひも書架より零れ春燈下

                           井上宗雄

語は「春燈(しゅんとう)」。この句に出会った途端、思わず本棚を見てしまった。なるほど、普段はまったく意識したことはなかったけれど、たしかにあちこちの棚の端から「栞(しおり)ひも」が零(こぼ)れている。辞典の類いは別として、栞ひもの位置からその本をあらためて眺めてみると、未読のまま途中でやめてしまっている本はすぐにわかる。なぜ読むのをやめたのかも、あらかた思い出すことができる。本は自分の歴史を思い出すよすがでもあるから、句の作者もまた、栞ひもから時間をさかのぼって、過去の自分をいろいろと思い出しているのではあるまいか。「春燈」には他の季節よりも少しはなやいだ感じを受けるが、それだけに逆に、作者の内心には愁いのような感情が生起しているのでもあろう。はるばると来つるものかな。ちらりと、そんな感慨もよぎっているのだろう。ところで、この栞ひもを出版業界の用語では「スピン」と言う。そしてご存知だろうか、文庫本でスピンをつけているのは、現在では新潮文庫だけである。手元にある方は見ていただきたいが、この文庫のもう一つの特徴は、ページの上端部の紙が不ぞろいでギザギザのままになっていることだ。これはスピンをつけるためにカットできない造本上の仕様なのであり、若者のなかにはこのギザギザが汚いと言う者もいるらしいが、文庫本であろうとスピンがついていたほうがよほど便利なことを知ってほしいと思う。それに私などには反対に、あのギザギザはお洒落にさえ思えるのだが。俳誌「西北の森」(第57号・2006年3月)所載。(清水哲男)




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