阪神・金本が今日、連続試合フル出場の世界新を達成する。凄い野郎だなあ。おめでとう。




2006ソスN4ソスソス9ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 0942006

 駝鳥来て春の団子をひとつ食う

                           辻貨物船

ポキ
らしい楽しい句はないかと探していたら、灯台下暗し、辻征夫の句集に掲句が載っていた。この「駝鳥(だちょう)」、なんとなく宮崎駿の描いた三鷹市のキャラクター「ポキ」(図版参照)を連想させてくれる。ただし、「ポキ」よりも辻の「駝鳥」句のほうが先だ。また「ポキ」が駝鳥なのかどうかは、似ているけれどわからない。そんなことはともかく、春の午後あたりだろうか、どこからか駝鳥がのこのことやってきて、何故かそこに置いてあった「団子」をひとつだけぱくっと食べたよ、というのである。食べた後で、大きな目玉をくるくるっとまわしてから、またもと来た方向に戻っていったような気がする。こういう可愛らしくも茫洋とした情景を描くには、普段からこうした世界で遊びなれていないと、いきなり付け焼き刃での作句は難しいだろう。詩人・辻征夫の内面には、たしかにこういう茶目っ気に近い世界があった。この駝鳥は、だからほとんど「ポキ」と同じような想像上の鳥なのであって、いちおう「駝鳥」とは書いてあるけれど、詩人の頭のなかでは、実物をかなりデフォルメした姿で動いていたにちがいない。このような、いわば童心の発露みたいな瑞々しい句の作り手が、現代のどこかにいないものだろうか。『貨物船句集』(2001)所収。(清水哲男)


April 0842006

 若き頃嫌ひし虚子の忌なりけり

                           猪狩哲郎

語は「虚子忌」で春。高浜虚子の命日。虚子が鎌倉で没したのは,1959年(昭和三十四年)四月八日であった。八十四歳。そのころの私は大学生で俳句に熱中してはいたが、作者と同じように虚子は「嫌ひ」だった。彼の詠むような古くさい俳句は、断固撲滅しなければならないと真剣に考えていた。「俳句に若さを」が、当時の私のスローガンだった。虚子が亡くなったときに、新聞各紙は大きく報道し、手厚い追悼記事を載せたのだけれど、だから私はそうした記事をろくに読まなかった覚えがある。こういう言い方は故人に対してまことに失礼であり不遜なのであるが、彼の訃報になんとなくさっぱりしたというのが、正直なところであった。付け加えておくならば、当時の俳句総合誌などでも、いわゆる社会性俳句や前衛俳句が花盛りで、現在ほどに虚子の扱いは大きくはなかったと思う。意識的に敬遠していた雰囲気があった。メディアのことはともかく、そんな「虚子嫌ひ」だった私が、いつしか熱心に虚子句を読みはじめたのは、五十代にさしかかった頃からだったような気がする。そんなに昔のことではないのだ。一言で言えば、虚子は終生新奇を好まず、日常的な凡なるものを悠々と愛しつづけた俳人だ。すなわち、そのような詩興を理解するためには、私にはある程度の年齢が必要であったということになる。虚子逝って、そろそろ半世紀が経つ。時代の変遷や要請ということもあるが、もう二度と虚子のような大型の俳人が出現することはあるまい。「虚子嫌ひあるもまたよし虚子祀る」(上村占魚)。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


April 0742006

 橋の無き数寄屋橋行く春ショール

                           鈴木智子

語は「春ショール」。この句を読んで微笑を浮かべた読者は、ほとんどが戦前生まれの方だろう。句意ははっきりしていて、わかりにくいところはまったくない。でも、句を文字通りに味わおうとすると、なんだか当たり前過ぎて面白い句でもないので、世代が若いと、がっかりする読者もいそうである。そうなのです。わかる世代には、すぐにわかるし、わからない世代には全くわからないのがこの句なのです。「数寄屋橋」と「シヨール」と言えば、私くらいの世代から上の人々ならば、連想が自然に行き着く先は一つしかありません。すなわち、かの一世を風靡した「真知子巻き」へと……。真智子は、菊田一夫の人気ラジオドラマ『君の名は』のヒロインだった。1953年に映画化されたこのすれ違いドラマでヒロインを演じたのが岸恵子で、ショールを頭から首に巻いた斬新なファッションが、当時の若い女性たちには大受けだった。そこらじゅうに、にわか真知子が出現したのだった。作者は、そんな世代の女性なのだろう。ある春の日に銀座に出かけたとき、いまは無き数寄屋橋のあたりを通りかかって、ショール姿の人を見かけたのだ。むろん、彼女はもはや真知子巻きではない。しかし場所が場所だけに、作者は咄嗟に当時のことを思い出し、一瞬すとんと懐旧の念のなかに落ち、往時茫々の感に打たれたというわけだ。春ショール姿の見知らぬ女性が、そうした過去を何も知らずに数寄屋橋無き道を歩いている。ああ、まことに「忘却とは、忘れ去ることなり」(菊田一夫)なのであります。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)




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