そういうわけだったのですか。本日発売の「文學界」に三好達治賞選考経過が載ってます。




2006ソスN4ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 0742006

 橋の無き数寄屋橋行く春ショール

                           鈴木智子

語は「春ショール」。この句を読んで微笑を浮かべた読者は、ほとんどが戦前生まれの方だろう。句意ははっきりしていて、わかりにくいところはまったくない。でも、句を文字通りに味わおうとすると、なんだか当たり前過ぎて面白い句でもないので、世代が若いと、がっかりする読者もいそうである。そうなのです。わかる世代には、すぐにわかるし、わからない世代には全くわからないのがこの句なのです。「数寄屋橋」と「シヨール」と言えば、私くらいの世代から上の人々ならば、連想が自然に行き着く先は一つしかありません。すなわち、かの一世を風靡した「真知子巻き」へと……。真智子は、菊田一夫の人気ラジオドラマ『君の名は』のヒロインだった。1953年に映画化されたこのすれ違いドラマでヒロインを演じたのが岸恵子で、ショールを頭から首に巻いた斬新なファッションが、当時の若い女性たちには大受けだった。そこらじゅうに、にわか真知子が出現したのだった。作者は、そんな世代の女性なのだろう。ある春の日に銀座に出かけたとき、いまは無き数寄屋橋のあたりを通りかかって、ショール姿の人を見かけたのだ。むろん、彼女はもはや真知子巻きではない。しかし場所が場所だけに、作者は咄嗟に当時のことを思い出し、一瞬すとんと懐旧の念のなかに落ち、往時茫々の感に打たれたというわけだ。春ショール姿の見知らぬ女性が、そうした過去を何も知らずに数寄屋橋無き道を歩いている。ああ、まことに「忘却とは、忘れ去ることなり」(菊田一夫)なのであります。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


April 0642006

 夭折のさだめと知らず入学す

                           秋山卓三

語は「入学」で春。私の住む三鷹市では、今日が小学校の入学式だ。少し散ってしまってはいるが、校庭の桜はまだかなり残っているので、花の下での記念写真は大丈夫そうだ。全国で、今年も元気な一年生が誕生する。掲句を読んで、すぐに長部日出雄の書いた『天才監督・木下恵介』を思い出した。現実の話ではないが、長部さんは木下監督の撮った『二十四の瞳』の入学シーンを、何度見ても涙がわいてきて仕方がないという。教室で先生が名前を呼ぶと、ひとりひとりの新一年生がはりきって元気に返事をする場面だ。そこだけをとれば、何の変哲もない普通の入学風景でしかないのだが、長部さんは何度も映画を見て、そのひとりひとりの子供の近未来の運命を知ってしまっているので平常心ではいられないというわけである。それらの子供のなかには、まさに戦場で「夭折(ようせつ)」する男の子も何人か含まれている。そんな「さだめ」とは知らずに、活発な返事を返す子供たち。これが泣かずにいられようか。掲句の作者は、そうした同級生の「さだめ」を現実に見てきたのだろう。かつての入学時に席を並べた友人の何人かが、待ち受けている暗い運命も知らずに無邪気に振る舞っていた姿を思い出して、やりきれない想いに沈んでいる。そしてその想いは、毎年この季節になると、必ず戻ってくるのだ。だから、いまどきの一年生の元気な姿を見かけても、おそらくは明るい気持ちばかりにはなっておられず、いわれなき暗く哀しい気持ちが、ふっと胸をよぎることもあるに違いない。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


April 0542006

 濃山吹墨をすりつゝ流し目に

                           松本たかし

語は「山吹」で春。「濃山吹」は、八重の花の濃い黄色のものを言う。陽気が良いので障子を開け放っているのか、それとも閉め切った障子のガラス窓から表が見えるのか、作者は和室で「墨」をすっている。代々宝生流の能役者の家に育った人(生来の病弱のために、能役者になることは適わなかった)なので、墨をするとはいっても、何か特別なことをしようとしているわけではない。日課のようなものである。そんな日常を繰り返しているうちに、今年もまた山吹の咲く頃になった。春だなあ。庭の奥のほうに咲いた黄色い花を認めて、作者は何度も手元の硯からちょっと目を離しては、花に「流し目」をくれている。「流し目に」というのだから、顔はあくまでも硯に向けられたままなのだ。いかに山吹が気になっているかを、この言葉が簡潔に表現している。真っ黒な硯と濃い黄色の花との間を、目が行ったり来たりしているわけだが、この二つの色彩のコントラストが実に鮮やかで印象深い。句を眺めているうちに、作者のする墨の匂いまでが漂ってくるような……。春を迎えた喜びが、静かで落ち着いた句調のなかにじわりと滲み出ているところは、この作者ならではであろう。東京の山吹は、桜同様に今年は早く、そろそろ満開である。『俳諧歳時記・春』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)




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