米が天然痘ウイルスのテロ攻撃を想定した訓練実施。季語「種痘」の復活なんてイヤだぜ。




2006ソスN3ソスソス20ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 2032006

 風搏つや辛夷もろとも雜木山

                           石田波郷

語は「辛夷(こぶし)」で春。気がつけば、我が家から見える一本の辛夷の花が満開である。桜に先駆けて春を告げてくれる花で嬉しいが、ただし、この花が咲く頃の東京地方は風が強くて閉口する。ちなみに最大瞬間風速33.4m/sというのが、気象庁による昨日の観測結果であった。掲句はおそらく、雜木林の多い武蔵野での作句ではあるまいか。まさに風が「搏つ(うつ)」という感じで吹き荒れ、辛夷の白い花はちぎれんばかりに吹かれつづけ、小さな雜木山全体が連日煽られっぱなしだ。たった十七文字で、そんな様子を的確に言い止めた表現力は、さすがに波郷である。簡単に詠んでいるように見えるが、実作者にはおわかりのように、このようには、そうやすやすと詠めるものではない。ところで、かなりの強風にも辛夷の花がちぎれることもなく何日も耐えられるのは、元来この木が持っている性質からのようだ。ネットで「おいぼれ育種学者のひとりごと」というサイトを開設している高橋成人さんによれば、相当にしたたかな木だという。「雪が積もる頃、木々は雪の重さに耐える。耐えられない枝は折れ、時には木全体が被害を受ける。コブシでは積もった雪の重さで枝はしなやかに下に曲る。が、決して折れない、新しく伸びた枝は、コブシ本来の樹型を整え、紡錘形となる。これは、環境ストレスに正面から対峙する弾性的な耐性ではない。このコブシの可塑的変化は、恐らく仮導管が発達していることに原因するだろう。(中略)コブシは植物の進化から見ると原始的だと言われるが、しなやかで、したたかな植物である」。よく「柳に風」と言うけれど、「辛夷にもまた風」なのだろう。ストレスに、決してしゃかりきには立ち向かわないのである。あやかりたい。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


March 1932006

 名を知りて踏まず地獄の釜の蓋

                           柳井梗恒子

地獄の釜の蓋
てな、季語がない。と首をかしげかけたときに、本で読んだのか誰かに聞いたのかは忘れたが、この「地獄の釜の蓋」が植物の名であることをおぼろげに思い出した。早速いくつかの辞書を引いてみたら、記憶は間違っていなかった。まだ、ボケちゃあいなかった。こういうときは、理屈抜きに嬉しいものだ。正しい名前を「キランソウ(金瘡小草)」と言う。「シソ科の小形の多年草。路傍に生え、茎は地表に拡がって這はう。茎葉には毛がある。葉は対生、しばしば紫色を帯びる。春、葉の付け根に濃紫色の美しい唇形小花を開く。ジゴクノカマノフタ。」[広辞苑第五版]。お彼岸だから、今日あたり墓参りの方もおられるだろうが、この草は墓地に多いようだ。それと古来薬草として用いられてきたので、墓地にべったりと這うように生えている様子と地獄なんかに行かせるものかという薬効とがあいまって「地獄の釜の蓋」の異名で呼ばれるようになったのだろう。手元の歳時記には載っていないが、当サイトでは季語として春季に分類しておく。この謎が解けてしまえば、句意は明瞭だ。いわゆる雑草の類ではあるようだけれど、たしかにひとたび「名」を知ってしまうと、モノがモノだけに踏むのははばかられる。故意に踏んづけたと閻魔大王に疑われて、そのまま地獄に逆落としなんてのは、誰だってご免蒙りたいですからね。『面晤』(2006)所収。(清水哲男)


March 1832006

 癒えてゆくことも刻々初花に

                           水田むつみ

語は「初花(初桜)」で春。最初は作者自身が病床にあるのかと思ったが、そうではなかった。自解がある。「90歳の父が倒れ、車椅子の生活を余儀なくされた。歩くことを諦めていたが、リハビリの甲斐あって、初花の気息の如くに刻々回復へと向かった。俳句の力が奇跡をもたらしたとしか言いようのないほど父の運の強さを感じる」。ということは、父上も俳句をよくされるのであろう。それはともかく、この自解を読んでからもう一度句に戻ってみると、つまり冷静に読んでみると、なるほど自分の病いが癒えているにしては、勢いが良すぎる。やはりこの句は、他者への応援歌として読むべきであったし、ちゃんと読めばそれがわかるように作られている。一瞬の思い込みは危険だ。どうも、私はせっかちでいけないと反省した。もう一句、「初花へ一途の試歩でありにけり」。南国からの花便りが伝えられる今日この頃、句の父上のように懸命にリハビリに励んでいる方も、たくさんおられるだろう。ご快癒を祈ります。ところで、掲句は三年前の作。で、気がついたことには、この父上と私の父親とはまさに同年だ。私の父は幸いなことに、車椅子のお世話にはなっていないけれど、やはり相当に脚が弱ってきてはいる。もはや、杖なしでは外出できない。杖があっても、よく転ぶらしい。若いときに軍隊で鍛えられ、敗戦後は百姓で鍛えられた脚でも、年齢には勝てないというわけか。いくら山国育ちでも、父に比べればほとんど鍛えていないに等しい私の脚には、やはりそろそろガタが来そうな予感がしている。「俳句研究」(2003年6月号)所載。(清水哲男)




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