「二度あることは三度ある」。いや「三度目の正直」と言う。今日三度目の韓国戦。WBC。




2006ソスN3ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1932006

 名を知りて踏まず地獄の釜の蓋

                           柳井梗恒子

地獄の釜の蓋
てな、季語がない。と首をかしげかけたときに、本で読んだのか誰かに聞いたのかは忘れたが、この「地獄の釜の蓋」が植物の名であることをおぼろげに思い出した。早速いくつかの辞書を引いてみたら、記憶は間違っていなかった。まだ、ボケちゃあいなかった。こういうときは、理屈抜きに嬉しいものだ。正しい名前を「キランソウ(金瘡小草)」と言う。「シソ科の小形の多年草。路傍に生え、茎は地表に拡がって這はう。茎葉には毛がある。葉は対生、しばしば紫色を帯びる。春、葉の付け根に濃紫色の美しい唇形小花を開く。ジゴクノカマノフタ。」[広辞苑第五版]。お彼岸だから、今日あたり墓参りの方もおられるだろうが、この草は墓地に多いようだ。それと古来薬草として用いられてきたので、墓地にべったりと這うように生えている様子と地獄なんかに行かせるものかという薬効とがあいまって「地獄の釜の蓋」の異名で呼ばれるようになったのだろう。手元の歳時記には載っていないが、当サイトでは季語として春季に分類しておく。この謎が解けてしまえば、句意は明瞭だ。いわゆる雑草の類ではあるようだけれど、たしかにひとたび「名」を知ってしまうと、モノがモノだけに踏むのははばかられる。故意に踏んづけたと閻魔大王に疑われて、そのまま地獄に逆落としなんてのは、誰だってご免蒙りたいですからね。『面晤』(2006)所収。(清水哲男)


March 1832006

 癒えてゆくことも刻々初花に

                           水田むつみ

語は「初花(初桜)」で春。最初は作者自身が病床にあるのかと思ったが、そうではなかった。自解がある。「90歳の父が倒れ、車椅子の生活を余儀なくされた。歩くことを諦めていたが、リハビリの甲斐あって、初花の気息の如くに刻々回復へと向かった。俳句の力が奇跡をもたらしたとしか言いようのないほど父の運の強さを感じる」。ということは、父上も俳句をよくされるのであろう。それはともかく、この自解を読んでからもう一度句に戻ってみると、つまり冷静に読んでみると、なるほど自分の病いが癒えているにしては、勢いが良すぎる。やはりこの句は、他者への応援歌として読むべきであったし、ちゃんと読めばそれがわかるように作られている。一瞬の思い込みは危険だ。どうも、私はせっかちでいけないと反省した。もう一句、「初花へ一途の試歩でありにけり」。南国からの花便りが伝えられる今日この頃、句の父上のように懸命にリハビリに励んでいる方も、たくさんおられるだろう。ご快癒を祈ります。ところで、掲句は三年前の作。で、気がついたことには、この父上と私の父親とはまさに同年だ。私の父は幸いなことに、車椅子のお世話にはなっていないけれど、やはり相当に脚が弱ってきてはいる。もはや、杖なしでは外出できない。杖があっても、よく転ぶらしい。若いときに軍隊で鍛えられ、敗戦後は百姓で鍛えられた脚でも、年齢には勝てないというわけか。いくら山国育ちでも、父に比べればほとんど鍛えていないに等しい私の脚には、やはりそろそろガタが来そうな予感がしている。「俳句研究」(2003年6月号)所載。(清水哲男)


March 1732006

 両の手に桃とさくらや草の餅

                           松尾芭蕉

語は「桃(の花)」と「さくら(桜)」と「草(の)餅」とで、春。彩り豊かな楽しい句だ。この句は芭蕉が『おくのほそ道』の旅で江戸を後にしてから、二年七ヶ月ぶりに関西から江戸に戻り、日本橋橘町の借家で暮らしていたときのものと思われる。元禄五年(1692年)。この家には、桃の木と桜の木があった。折しも花開いた桃と桜を眺めながら、芭蕉は「草の餅」を食べている。「両の手に」は「両側に」の意でもあるが、また本当に両手に桃と桜を持っているかのようでもあり、なんともゴージャスな気分だよと、センセイはご機嫌だ。句のみからの解釈ではこうなるけれど、この句には「富花月。草庵に桃櫻あり。門人にキ角嵐雪あり」という前書がある。「富花月」は「かげつにとむ」と読み、風流に満ち足りているということだ。「キ角嵐雪」は、古くからの弟子である宝井基角と服部嵐雪を指していて、つまり掲句はこの二人の門人を誉れと持ち上げ、称揚しているわけだ。当の二人にとってはなんともこそばゆいような一句であったろうが、ここからうかがえるのは、孤独の人というイメージとはまた別の芭蕉の顔だろう。最近出た『佐藤和夫俳論集』(角川書店)には、「『この道や行人なしに秋の暮』と詠んだように芭蕉はつねに孤独であったが、大勢の弟子をたばねる能力は抜群のものがあり、このような発句を詠んだと考えられる」とある。このことは現代の結社の主催者たちにも言えるわけで、ただ俳句が上手いだけでは主宰は勤まらない。高浜虚子などにも「たばねる能力」に非凡なものがあったが、さて、現役主宰のなかで掲句における芭蕉のような顔を持つ人は何処のどなたであろうか。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます