勝負事は下駄を履いてもわからない。日本が失点率差0.01で準決勝に進出とはねえ。WBC。




2006ソスN3ソスソス18ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1832006

 癒えてゆくことも刻々初花に

                           水田むつみ

語は「初花(初桜)」で春。最初は作者自身が病床にあるのかと思ったが、そうではなかった。自解がある。「90歳の父が倒れ、車椅子の生活を余儀なくされた。歩くことを諦めていたが、リハビリの甲斐あって、初花の気息の如くに刻々回復へと向かった。俳句の力が奇跡をもたらしたとしか言いようのないほど父の運の強さを感じる」。ということは、父上も俳句をよくされるのであろう。それはともかく、この自解を読んでからもう一度句に戻ってみると、つまり冷静に読んでみると、なるほど自分の病いが癒えているにしては、勢いが良すぎる。やはりこの句は、他者への応援歌として読むべきであったし、ちゃんと読めばそれがわかるように作られている。一瞬の思い込みは危険だ。どうも、私はせっかちでいけないと反省した。もう一句、「初花へ一途の試歩でありにけり」。南国からの花便りが伝えられる今日この頃、句の父上のように懸命にリハビリに励んでいる方も、たくさんおられるだろう。ご快癒を祈ります。ところで、掲句は三年前の作。で、気がついたことには、この父上と私の父親とはまさに同年だ。私の父は幸いなことに、車椅子のお世話にはなっていないけれど、やはり相当に脚が弱ってきてはいる。もはや、杖なしでは外出できない。杖があっても、よく転ぶらしい。若いときに軍隊で鍛えられ、敗戦後は百姓で鍛えられた脚でも、年齢には勝てないというわけか。いくら山国育ちでも、父に比べればほとんど鍛えていないに等しい私の脚には、やはりそろそろガタが来そうな予感がしている。「俳句研究」(2003年6月号)所載。(清水哲男)


March 1732006

 両の手に桃とさくらや草の餅

                           松尾芭蕉

語は「桃(の花)」と「さくら(桜)」と「草(の)餅」とで、春。彩り豊かな楽しい句だ。この句は芭蕉が『おくのほそ道』の旅で江戸を後にしてから、二年七ヶ月ぶりに関西から江戸に戻り、日本橋橘町の借家で暮らしていたときのものと思われる。元禄五年(1692年)。この家には、桃の木と桜の木があった。折しも花開いた桃と桜を眺めながら、芭蕉は「草の餅」を食べている。「両の手に」は「両側に」の意でもあるが、また本当に両手に桃と桜を持っているかのようでもあり、なんともゴージャスな気分だよと、センセイはご機嫌だ。句のみからの解釈ではこうなるけれど、この句には「富花月。草庵に桃櫻あり。門人にキ角嵐雪あり」という前書がある。「富花月」は「かげつにとむ」と読み、風流に満ち足りているということだ。「キ角嵐雪」は、古くからの弟子である宝井基角と服部嵐雪を指していて、つまり掲句はこの二人の門人を誉れと持ち上げ、称揚しているわけだ。当の二人にとってはなんともこそばゆいような一句であったろうが、ここからうかがえるのは、孤独の人というイメージとはまた別の芭蕉の顔だろう。最近出た『佐藤和夫俳論集』(角川書店)には、「『この道や行人なしに秋の暮』と詠んだように芭蕉はつねに孤独であったが、大勢の弟子をたばねる能力は抜群のものがあり、このような発句を詠んだと考えられる」とある。このことは現代の結社の主催者たちにも言えるわけで、ただ俳句が上手いだけでは主宰は勤まらない。高浜虚子などにも「たばねる能力」に非凡なものがあったが、さて、現役主宰のなかで掲句における芭蕉のような顔を持つ人は何処のどなたであろうか。(清水哲男)


March 1632006

 呼ぶマイクきまつて迷子かざぐるま

                           五味 靖

語は「かざぐるま(風車)」で春。人出の多い公園での状景だ。これからの暖かい季節、私もよく近所の井の頭公園に出かけて行くが、この句と同じようなシーンに出くわすので、一読納得。ただ、井の頭の場合は、迷子以外に駐車の移動をうながすアナウンスも頻繁である。迷子の親の呼び出しが聞こえてくると、つい周りを見回してそれらしい人を捜したくなってしまうものだが、むろんわかるわけもない。十数分くらいの間隔で何度も同じ迷子のことが繰り返されると、まったく無縁の人ながら、なぜ早く引き取りにいってやらないのかと腹が立ってきたりする。でも、いやいや、もしかすると親は子供を探すのに必死になっていて、マイクの声が耳に入らないのかもしれないなどと、逆にひどく心配になるときもある。そして公園につきものの屋台では、春の陽光を受けたいくつもの「かざぐるま」が何事もない風情でくるくると回っており、いつしかアナウンスも途絶えていて、公園を離れるころには迷子のこともすっかり忘れてしまっているという具合だ。私自身は一度も迷子になったりなりかけたこともないのだけれど、探す親も大変だろうが、探される側の子の心細さはどんなものなのだろうか。私に迷子体験のない理由は、はっきりしている。親に公園などに連れて行ってもらった体験が、戦前の学齢前に、それこそ井の頭公園に出来たての動物園にたった一度きりしかなかったからである。どこにも出かけなければ、金輪際迷子になる心配はないというわけだ。『航標・季語別俳句集』(2005)所載。(清水哲男)




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