スーパーも百貨店も一月の売り上げが芳しくなかった。それでも景気は回復していると…。




2006蟷エ2譛25譌・縺ョ句(前日までの二句を含む)

February 2522006

 荻窪の米屋の角に蕗のたう

                           白川宗道

語は「蕗のたう(蕗の薹)」で春。東京の「荻窪」は、戦前に新興住宅地として開けた町であるが、いまだにその名残りをとどめる懐かしい気分のする土地柄だ。都会と田舎が、そこここで共存している。掲句の情景もその一つで、おそらくは古びた建物の「米屋」なのであり、まだ舗装されていない「角」地なのである。そんな町角に早春を告げる蕗の薹を見つけて、作者は微笑している。そんな穏やかな微笑もまた、荻窪にはよく似合うのである。ところで、掲句の作者である白川宗道君がつい先頃(2006年2月16日)急逝した。58歳。新宿の酒場の支配人として毎日朝の六時まで働いていたというから、過労による死ではないかと思うのだが、閉店後にひとり店内で倒れてそのままになっていたところを発見されたという。俳歴としては「河」を経て「百鳥」に所属。「河」では句集『家族』(1990)で新人賞を受けている。我が余白句会のメンバーでもあり、若いくせに古風な句を作ると時にからかわれたりもしたものだが、いつもにこやかに受け流していた図は立派な大人であった。働きながら苦労して卒業した早稲田大学が大好きで、稲門の話になると夢中になるという稚気愛すべき側面もあり、広告界に二十年いただけあって顔も広く人当たりも良く、どちらかと言えば社交的な人柄だったと言える。けれども、どうかすると不意に神経質な一面を見せることもあったりして、内面的には相当に複雑なものを抱えていたにちがいない。辻征夫、加藤温子につづいて、余白句会は三人目の仲間を失ったことになる。また寂しくなります。合掌。オンライン句集『東京キッド』(2001)所収。(清水哲男)

[作者の死について]その後の情報により、次のことが判明しましたので付記しておきます。倒れたのは店ではなく、自宅の風呂場の前で衣服を脱いだ状態だった。死因は「心のう血腫」。死亡日は曖昧なまま、医師に二月十九日とされた。葬儀は近親者のみで、二十五日に故郷の観音寺市専念寺で営まれた。戒名は「文英院宗誉詠道居士」。あらためて、ご冥福をお祈りします。


February 2422006

 野梅咲く行きたふれたる魂のごと

                           いのうえかつこ

語は「(野)梅」で春。「野梅」は野生のままの状態にある梅で、今では三百種を越える品種があると言われる梅の元祖みたいなものだろう。山道あたりで遭遇した一本の梅の木が、小さくて白い花をつけている。眺めていると、あたりの寂しさも手伝って、その昔この山で「行きたふれた」人の「魂(たま)」のように見えてきたと言うのである。急病や極度の疲労、あるいは寒さのために、旅の途次で落命した人の魂が、長い時間を隔てて一輪の花となり地上に現われた。こう想像することに少しも無理はないし、そう想像させるものが山の霊気には確かに存在するようである。万葉の大昔に、柿本人麻呂が行き倒れた人を見て詠んだ歌は有名だ。「草枕 旅のやどりに 誰(た)が夫(つま)か 国忘れたる 家待たなくに」。こう詠んだ人麻呂自身も石見で客死しているが、誰に看取られることもなく死んでいった人々の孤独な魂を、このふうちゃかした現代に呼び出してみることには意義があるだろう。行き倒れた人の無念や呪詛の念は想像を絶するが、しょせん人間死ぬときはひとりなのである。だからそこには、行き倒れに通う心情や感情が皆無というわけにもいくまい。この句を読んで、殊勝にも「ひとりでない現在」の幸福というようなことに、だんだんと思いが至って行ったのだった。『馬下(まおろし)』(2004)所収。(清水哲男)


February 2322006

 春しぐれやみたる傘を手に手かな

                           久保田万太郎

語は「春時雨(はるしぐれ)」。同じ雨でも、木の芽の萌え出したころの時雨は明るい感じで、冬の寂しい陰気なところがない。むしろ、華やぎさえ感じることがある。掲句は、そんな明るい雨がやんだ後の情景を詠んで、いやが上にも春の明るく華やいだ気分を盛り上げている。春時雨だけでも人々の気分は明るいのに、傘を手に手に雨上がりの路を行く人々の表情はもっと明るい。句の成立事情は知らないが、この「春時雨」を句会の兼題として詠んだものなら、春時雨をやませた発想だけで、句友を二歩も三歩もリードしたと言えるだろう。まったくもって、憎らしいくらいに上手いものです。雨上がりの都会の、あの独特の雨の匂いまでが伝わってきそうな句ではないか。ところで雨の匂いとはよく言うが、古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、あの匂いは虹の匂いだと言ったそうだから、なかなかのロマンチストだったのかもしれない。今日では正体が解明されていて、二種類の物質が発する匂いだという。一つは「ペトリコール」。これは土の中の粘土の匂いで、湿度が80パーセント以上になると鉄分と反応して匂いが強まるそうだ。雨が降り出してしまうと匂いが流されるため、雨が降る直前のほうが匂いが強まる。もう一つは「ジオスミン」という物質。これは、土の中の細菌の匂いである。こちらは土に雨が染み込むと匂いが強まるので、降りはじめよりも雨上がりのほうが匂いが強くなるというから、掲句に匂いがあるとすれば、ジオスミンが発していることになる。『俳句歳時記・春の部』(1955・角川文庫)所載。(清水哲男)




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