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February 2022006

 絵葉書の消印は流氷の町

                           大串 章

語は「流氷(りゅうひょう)」で春。結氷の初期に流氷をみることもあるようだが、豪壮な流氷をみるのはやはり春になってからだ。そんな「流氷の町」から絵葉書が届いた。紋別か網走か、それとも釧路あたりからだろうか。ただそれだけの句だけれど、この句は絵葉書というメディアの特性をよく伝えていて面白い。普通の葉書だと、私たちはあまり消印まで見たりはしないものだが、絵葉書の場合には消印まで読むことが多い。絵葉書はたいてい旅先からの便りだから、印刷されている画面や書かれた文面とは別に、消印が発信人の投函場所を客観的に保証するからである。そしてこの消印のほうが、受け取った側に、より詳細で興味深い情報をもたらすこともある。下世話に言えば、「へえっ、あいつはまたどうして、こんなところにまで出かけたのだろうか」などと、消印一つからいろいろなことが思われるのである。句の絵葉書にしても、絵(写真)や文面には流氷のことは何もなかったのかもしれない。広い北海道のどこからかの発信ということはわかったが、よくよく消印を見ると流氷の名所として知られた町からのものだった。それがわかったとなると、受け取った側では、いろいろと想像をめぐらしたくなってくる。が、作者はそのあたりの心の動きをあえて書かずに、ぽんと放り出している。それがかえって読者にインパクトを与えるのは、やはり俳句様式ならではの表現の面白さと言うべきだろう。『天風』(1999)所収。(清水哲男)


February 0622014

 流氷が見たくて飴を舐めてをり

                           喜田進次

年も流氷が確認されたと、ニュースでやっていたが接岸はいつだろう。本物の流氷はまだみたことはなくて思い浮かぶのはテレビドラマ「北の国から」で消息不明になったトド撃ちに扮した唐十郎が流氷を渡って港へ帰って来るシーンだ。流氷って人が乗っても大丈夫なんだろうか、トドやあざらしは流氷に乗って旅するんだろうか。流氷ははるか北への旅情をかきたてる。舌の上になま温かく飴を転がす感触とオホーツク海から来る固く冷たい流氷。距離感と質感ともに対照的な二物の取り合わせが魅力的で、私も飴を舐めながら流氷を待ってみたい。『進次』(2012)所収。(三宅やよい)




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