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February 1022006

 春炬燵男腕組みして眠る

                           中村与謝男

語は「春炬燵(はるごたつ)」。春になっても、まだ使っている炬燵のこと。今年はとくに寒い日がつづくので、しまっていないお宅は多いことだろう。でも、寒いとはいっても、真冬とは違って、室内の温度はだいぶ高くなってくる。そこでつい、とろとろと眠気に誘われる。この「とろとろ」気分が、実に快適なんですよね。掲句の「男」も気持ちよく眠ってしまったわけだが、しかし「腕組み」は相変わらずほどかずにいると言うのだ。さきほどまで、何かを思案していたのだろうか。そんな思案への緊張感を保ったままで眠っている男の姿に、作者はそれこそ「男」を見たのである。とろとろうとうとしているというのに、何もそんなに肩肘張った姿勢のままでいることもあるまいに……。とも思うのだが、他方では眠ってもなお緊張の姿勢を解かないところに、男というもののありようを強く感じさせられて、共感を禁じ得ないでいるわけだ。そんなに大袈裟なシーンではないけれど、この句には、おそらく男同士でないとわからない一種の哀感が漂っているのだと思う。それは、かつて流行した歌「人生劇場」の文句じゃないが、「♪男心は男じゃなけりゃわかるものかと……」の世界に通じていく哀感だ。もはや「男気」などという言葉すらもが聞かれなくなって久しいが、こういうかたちでそれが残っていることに着目した作者の眼力は冴えている。まだまだ「男はつらいよ」の世の中は継続中なのだ。『楽浪』(2005)所収。(清水哲男)


February 1322011

 かうしては居れぬ気もする春炬燵

                           水田信子

ンションに住み始めてからは、こたつとは縁のない生活をしてきました。私が実家でこたつに入ったのは、もうだいぶ昔のことです。昔のこたつだから、なかなかうまい具合に温度調節ができず、脛が熱くなりすぎたり、あるいはなかなか温かくならずに肩まで潜ったことなどを覚えています。それでもいったん入ったら、なかなか抜け出ることができません。だんだんだらしなくなってきて、ああこれではいけない、もっとしゃっきりとしなきゃあと、後ろめたい心を抱えながらもずるずると時を過ごしてしまう。いったん入ってしまうと、どうしてあんなに動けなくなってしまうのだろう。大げさではありますが、どこか、自分の意志の弱さを試されているような気分にもなります。それでも時折、こたつに入ってみたくなります。あの心地の良さと、ずるずるとだめになってゆく自分を、感じるために。『角川俳句大歳時記 春』(2006・角川書店)所載。(松下育男)




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