かつて東ドイツを走り回っていた国民車の玩具。実物も知っているが、相当にヤワだった。




2006句(前日までの二句を含む)

January 2712006

 マスクしてマスクの人に目敏しよ

                           宮坂やよい

語は「マスク」。最近では花粉症を防御するために、春もマスク姿の人は多いが,元来は風邪の季節である冬季のものである。句が言うように、たしかに自分がマスクをしていると、他人のマスクにも目敏く(めざとく)なる。やや風邪気味なのか、あるいはインフルエンザに流行の兆しが出て来たのか、いずれにしても内心ではちょっと大袈裟かなと思っているのだ。が、街に出てみると、昨日までは気がつかなかったマスクをした人がけっこう目につく。そうか、堂々とマスクをしていても変じゃないんだと、ほっと安堵の一句である。掲句を読んで、すぐに田村隆一を思い出した。なんでも道端で転んで骨折したとかいうことだったので、鎌倉の病院まで見舞いにいったことがある。しかしその頃にはもう大分回復していて、杖を使えば外出もできるようにまでなっていた。面会室で会うと血色もよく、機嫌良くひとしきり病気と病院の話をしてくれた。そのなかでの他の話はすべて忘れてしまったけれど、「杖ついて表をあるくだろ。そうすると君ねえ,杖ついてる人が多いんだよ、鎌倉には」という話を妙に覚えている。鎌倉には爺さんが多いせいかなとも付け足したが,そうかもしれないが、杖姿の人が目についたのは、掲句の作者と同じような心理状態にあったからただろう。このことを逆に言えば、多くの他人は、人のことなど目敏くも何も、はじめから見ないか、見ても気がつかないのだ。むろん作者も,ある程度そういうことはわかっている。わかっちゃいるけど、「でもねえ」と逡巡するのが人情というものだろう。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


January 2612006

 枯野起伏明日と云ふ語のかなしさよ

                           加藤楸邨

語は「枯野(かれの)」で冬。草木の枯れた蕭条とした野である。それも「起伏」が見えるのだから、行けども果てしなく思われる広大な枯野だ。そして、眼前に広がったこの枯野は、また作者の心象風景でもあるだろう。鬱々たる心象が、作者の胸中から離れない。このようなときにあって、向日的な「明日と云ふ語」の何と悲しく思えることか。「明るい日」「明けてくる日」は期待や希望を込めるにこそふさわしいが、いまの作者には「明日」もまた今日のように、広大な枯野が待ち受けているだけの索漠たる日であるとしか思えない。鬱屈した心情を枯野の起伏に同期させ、「明日」という言葉すらもが悲しく感じられる自分自身へのエレジーである。ところで、寺山修司の短歌に次の一首がある。「煙草くさき国語教師が言うときに明日という語は最もかなし」。おそらく掲句に触発されて書かれたものだろうが、この悲しさには句のような重苦しさはない。青春の甘美なセンチメンタリズムが、心地よく伝わってくる。同じ「明日と云ふ語」の悲しさを詠んでも、シチュエーションが違えばこれほどの開きが生ずるのだ。その意味で、この句とこの短歌は私のなかで、いつもワンセットになって想起される。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


January 2512006

 雪しづか碁盤に黒の勝ちてあり

                           澁谷 道

方の祖父が囲碁好きで、ことにリタイアしてからは近所の碁敵と毎日のように打っていた。お互いの家を行ったり来たりしていたので、掲句のような情景は懐かしい。対局が終わると、たいがい碁盤の上は片づけられていたが、どうかするとそのまま石が残っていることもあった。句は、そのような情景を詠んでいる。主客ともに、たぶんあわただしく出て行ったあとの客間に、作者は片づけのために入ったのだろう。窓外には雪がしんしんと降りつづいており、碁盤の上には熱戦のあとが残されている。これだけでも十分に「雪しづか」の雰囲気は出てくるのだが、作者はもう一歩踏み込んで、黒石の勝ちまでを詠み込んだ。この「黒」が、降る雪の「白」を際立たせていることは言うまでもない。と同時に、ついさっきまで打っていた二人のやりとりも想起され、それがまた「しづか」を強調する効果をあげている。溜め息がでるほどの良いセンスだ。ここで話は脱線するが、しかも一度書いたような記憶もあるが、大学生になったときに、祖父に囲碁を教えてほしいと頼んだことがある。ルールくらいは知っていたけれど、友人とのヘボ同士の対局ではさっぱり上達しなかったからだ。と、祖父曰く。「大学生が、こんなに時間を食う遊びをするもんじゃない。そんな時間があるのだったら、勉強しなさい」。で、そのときに「はい」と素直に答えたおかげで、ついに囲碁とは疎遠のままになってしまった。「俳句」(2006年2月号)所載。(清水哲男)




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