政府は口を開けば「財政再建」と言うが、いまの膨大な赤字を作ったのはどこの誰なの。




2006ソスN1ソスソス13ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1312006

 襖絵の虎の動きや冬の寺

                           斎藤洋子

の句を矢島渚男が「単純な形がいい」と評していて、私も同感だ。がらんとした「冬の寺」。想像しただけで寒そうだが、ものみな寒さの内に固く沈むなかで、ふと目にとめた襖絵の虎だけには動きがあって、生気にみなぎっていると言うのである。この生気が、いやが上にも周辺の寒くて冷たい事物を際立たせ、ひいては寺ぜんたいの静けさを浮き上がらせているのだ。襖絵の虎といえば、誰もが知っている一休和尚のエピソードがある。彼がまだ子供で周建という名前だったころ、その知恵者ぶりを足利義満に試される話だ。義満が聞いた。「周建よ、そこの屏風の絵の虎が毎晩抜け出して往生しているのだ。その虎を縛ってはくれないか」。「よろしゅうございます」と縄を持った周建が、平気な顔で「これから虎を捕まえます。ついては、どなたか裏に回って虎を追い出していただきたい」と叫んだという話である。少年時代にこの話を何かの雑誌で読んだときに、文章の傍らに虎を描いた立派な襖のイラストレーションがそえられていた。何の変哲もない挿絵だったけれど、それまで襖絵というと模様化された浪と千鳥の絵くらいしか知らなかった私には、衝撃的であった。こんな絵が自分の家の襖に描いてあれば、どんなに楽しいだろうか。虎の絵が寺や城の襖につきものとは露知らず、一般家庭の襖にも描かれていると思ってしまったわけだ。以来、襖の虎は我が憧れの対象になっていて、いまだにそんな絵があるとしみじみと見入ってしまう。掲句が目に飛び込んできたのも、そのことと無縁ではないのであった。俳誌「梟」(2006年1月号)所載。(清水哲男)


January 1212006

 煮凝や晝をかねたる朝の飯

                           松尾いはほ

語は「煮凝(にこごり)」で冬。煮魚を煮汁とともに寒夜おいておくと、魚も汁もこごりかたまる。これが煮凝りである。料理屋などでは、わざわざ方型の容器で作って出したりするけれど、掲句の煮凝りは昨夜のおかずの煮魚が自然にこごってできたものだろう。昔の室内、とりわけて台所は寒かったので、自然にできる煮凝りは珍しくはなかった。作者は京都の人だったから、これは底冷え製である。句は、あわただしい一日のはじまりの情景だ。急ぎの用事で、これからどこかに出かけていくところか。たぶん、昼食はとれないだろうから、朝昼兼用の食事だと腹をくくって食べている。それすらもゆっくり準備して食べる時間はないので、食べているのは昨夜の残り物だ。ご飯ももちろん冷たいままなので、これまた冷たい煮凝りといっしょでは侘しいかぎり。おかずが煮凝りだったわけではないが、これと似たような食事体験は、私にも何度かあった。思い出してみると、我が家は夕食時にご飯を炊いていたので、朝飯はいつも冷たくて、あわただしい食事ではなくても侘しい感じがしたものだ。冷たいご飯に熱い味噌汁をぶっかけて食べたり、あるいはお茶漬けにしたりと、冷たいご飯をそのままで食べるのは苦手であった。だから余計に掲句を侘しいと思ってしまうのかもしれないが、句のような煮凝りの味は現在、もはや死語ならぬ「死味」になってしまったと言ってもよいのではなかろうか。往時茫々である。『合本俳句歳時記・第三版』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)


January 1112006

 観覧車雪のかたちに消えにけり

                           五島高資

が降っている。それでも動いている「観覧車」を、作者は離れた場所から見上げているのだろう。こんな日に、乗ってる人がいるのだろうか。そのうちにだんだん降りが激しくなってきて、とうとう見えなくなってしまった。その様子を、迷うことなく「雪のかたちに」消えたと詠んだところに、作者のリリシズムが光っている。消えたとはいっても、遠くのほうでまだぼおっと霞んでいて、観覧車のかたちは残っているのだ。つまり、あくまでも観覧車はおのれの「かたち」を保っているわけだが、時間が経つにつれて降る雪と混然となっていく様子を指して、作者は「雪のかたちに消えにけり」と情景に決着をつけたのである。「雪」に「かたち」はない。しかし、このように「ある」のだ。そう言い切っているところに、句としての鮮やかさを感じた。観覧車といえば、高所恐怖症にもかかわらず、私が一度乗ってみたいのは映画『第三の男』に出てきたウイーンの大観覧車だ。オーソン・ウェルズとジョセフ・コットンが、これに乗って話し合う有名な場面がある。だから乗らないまでも見てはおきたいと長年思っていたのだが、実は十数年前に一度、スケジュール的に少し無理をすればチャンスはあったのである。所用でせっかくウイーンの駅で降りたのに、しかし疲れていたこともあって、またの機会にと断念してしまった。でも私には、もはやまたの機会はないだろう。あのときに行っておけばよかったと、何度くやんだことか。だいたいが私は「またの機会に」と思うことが多い人間で、大観覧車にかぎらず、けっこう見るべきものを見ないままに今日まで来てしまっている。要するに、勤勉でない性格なのである。『蓬莱紀行』(2005)所収。(清水哲男)




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