せめて「おせち」の写真をと、ドレスデン在住の娘が家人にメールしてきたようである。




2006ソスN1ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 0312006

 年玉やかちかち山の本一つ

                           松瀬青々

語は「年玉」で新年。大正期の句だと思われる。この「年玉」は、誰が誰に与えたものだろうか。間違いなく、作者が幼い我が子に与えたものだ。他家の誰かから我が子にもらったものでもなく、作者が他家の子供にあげたものでもない。というのも「かちかち山」はあまりにも有名な昔話だから、他家の子供が既にこの本を持っている確率はかなり高いので、いきなりプレゼントするのははばかられるからである。持っていないことが確実なのは、我が子しかないのだ。そして、我が子が正月にもらった年玉は、結局その本「一つ」だったと言うのである。句の背景には、もちろん推測だが、正月といっても年賀に訪れる客もなかったことがうかがわれるし、日頃からのつつましやかな生活ぶりも見えてくる。そのたった一つの年玉に喜んで、何度も何度も本を広げているいじらしい我が子へのいとしさが滲み出ている句だ。現代の子供への年玉は、たとえ小さい子に対してでも現金で与えるのが普通のようだが、昔はその時代なりの慣習や教育的配慮もあって、句のように物で与える例も多かったにちがいない。金銭は不浄という日本的な観念が社会的にあらかた払拭されたのは、つい最近のことである。不浄どころか、いまや金銭をたくさん所持している人物が偉いとまで考えられるようになってきた。そんな偉い人が、どうかすると「泥舟」で沈んでゆく姿も見かけるけれど。『新歳時記・新年』(1990・河出文庫)所載。(清水哲男)


January 0212006

 二日はや雀色時人恋し

                           志摩芳次郎

語は「二日」で新年。正月二日のこと。俳句を覚えたてのころ、つまり中学生のころ、「二日」が季語と知って驚いた。子供にとっての正月二日はとても退屈な日でしかなかったので、何故そんな日をわざわざ季語にする必要があるのかと、腹立たしくさえ思ったものだ。元日ならお年玉ももらえるし、年賀状もちらほらと来るし、それなりのご馳走にもありつけたので、家でじっとしてるのも苦ではなかった。が、それも一日が限度。二日になると、もういけない。年賀状の配達もなかったし、新聞も休刊日で,まったく刺激というものがない。掲句はむろん大人の句だけれど、同じように無性に「人恋し」くなって、友人の誰かれに会いたくなってしまう。でも、それは禁じられていた。正月早々にのこのこ他の家に遊びに行くと、迷惑になるという理由からであった。そんな「二日」が、なんで季語なんかになってるんだよ。と思っているうちにわかってきたのは、多くの子供には無関係だけれど、ことに昔の大人の社会では、この日が仕事始めの日だということだった。初荷、初商い、それに伴って活気づく町。たしかに元日とは違う表情を持った日ということで、なるほど季語化したのもうなずけると合点がいったのだった。といっても、なかには作者のような無聊をかこつ大人も大勢いるわけで、逆にこの立場からしても「二日」は特別な日と言えば言えるのではなかろうか。なお「雀色時」は、あたりが雀の羽根のような色になることから、日暮れ時を言った。洒落てますね。『新歳時記・新年』(1990・河出文庫)所載。(清水哲男)


January 0112006

 塗椀のぬくみを置けり加賀雑煮

                           井上 雪

語は「雑煮」で新年。この句、なんといっても品格がよろしい。雑煮の大きな「塗椀(ぬりわん)」を置いたわけだが、それを「ぬくみ」を置くと婉曲に、しかし粋に表現しているところ。そして「加賀雑煮」と締めた座りの良さ。句の座りももちろんだが、雑煮の椀もまた見事に安定している。ゆったりとした正月気分と同時に、質素な加賀雑煮に新年の引き締まる思いが共存している句だ。一般に加賀料理というと豪勢な感じを受けるが、加賀雑煮だけはすまし仕立てで、具は刻み葱と花鰹のみのシンプルなものだという。加賀百万石の権勢下で、武家も庶民も正月の浮かれ気分を自らいましめるための知恵の所産だろう。このように、雑煮は地方によっても違うし、その家ごとの流儀もある。我が家のように、関東風と関西風との両方を作ったりする家庭もけっこうあるのではなかろうか。子供の頃から慣れ親しんだ雑煮でないと、なんだか正月が来た気分がしないからだ。考えてみれば、雑煮は大衆化していない唯一の料理だ。たいていの料理はレストランや食堂が大衆化に成功してきたが、雑煮だけはそれぞれの家庭で食べるのが本流だから、どんなに美味しいものでも、簡単には表に出て行かないのである。すなわち、雑煮だけは味的鎖国状態のまま、それぞれの味がそれぞれの家庭で継承されてきたというわけだ。さて、新しい年になりました。お雑煮をいただきながら、年頭の所感を。……ってのは真っ赤な嘘でして、例年のようにぼんやりと過ごす時間を楽しむことにいたします。『新歳時記・新年』(1990・河出文庫)所載。(清水哲男)




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