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2005ソスN12ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 19122005

 かじかみて酔を急ぐよ名もなき忌

                           土橋石楠花

語は「かじかむ(悴む)」で冬。「名もなき忌」とあるから著名な人の通夜、ないしは葬儀ではない。また、とくに親しい人のそれでもない。おそらくは同じ町内に住み、道で顔を合わせれば会釈するくらいの淡い付き合いだった人のそれだろう。いまの都会ではそういう風習は絶えてしまっているが、昔は町内で誰かが亡くなると、通知がまわってきて出かけたものである。したがって、弔問はほんの儀礼的なものだ。よく知らない人なのだから。哀しみの感情もわいてはこない。ひどく冷え込んだ日で身体は寒いばかりであり,そこで作者は浄めの酒を普段よりも多めにいただいて「酔を急」いでいるというわけだ。「酔を急ぐよ」が寒さばかりではなく、作者の個人との距離の遠さを暗示していて効果的だ。と読み流してみると、最後に据えられた「名もなき忌」を誤解する読者もいそうなので、念のために書いておくと,これは作者の死生観の一端を述べたもので、決して無名だった故人をおとしめているのではない。むしろ無名に生き無名のままに死に、そうした死後のことはかくのごとくに質素であるべしと言っている。作者の土橋石楠花は十七歳で「鹿火屋(かびや)」を主宰していた原石鼎の門を敲き、今年の夏に亡くなるまで一貫して「鹿火屋」とともに歩きつづけた。2005年7月15日没。享年八十八。句歴七十年余.それなのにこの人には句集が一冊あるだけだ。このことだけを取ってみても,いかに石楠花という俳人が名利とは無縁であったかがうかがわれる。自分の死を詠んだ句に「ぽつかりと吾死に炎帝を欺かむ」があり、まさにその通りになった。句集『鹿火屋とともに』(1999)所収(清水哲男)


December 18122005

 門々や子供呼込雪のくれ

                           野 童

こ半世紀ほどで大きく変わったことの一つに、こうした子供の情景がある。江戸は元禄期の句だが、この情景には、私の世代以前から十年ほど後の世代くらいの者であれば、みなシンパシーを覚えるだろう。懐かしい情景だ。雪の日とは限らないけれど、夕方になるとあちこちから表で遊び呆けている子供たちを「呼(び)込(む)」声が聞こえてきたものだった。「ご飯ですよーっ」、「もう暗いから帰っておいで」など。ところが、遊びに夢中になっていると、呼び込む声は聞こえても、そう簡単には帰りたくない。「おい、お前。帰って来いってさ」と仲間から言われても、「まだ大丈夫だよ、平気だよ」と愚図愚図している。そのうちに渋々と一人が帰り、また別の一人が遊びの輪を離れていきと、毎夕が同じことの繰り返しであった。句の場合も同様の情景であるが、ことに「雪のくれ」だから、戸外の寒さと子供の元気さとが想起されて微笑ましい。そしてさらには、それぞれの家で子供を待っている暖かい食卓にも思いが及び、句の「雪のくれ」という設定がいっそう生きてくるのである。この句を紹介している柴田宵曲も、このことを頭においてか、次のように書いている。「平凡な句のようでもある。しかし一概にそういい去るわけにも行かないのは、必ずしも少年の日の連想があるためばかりとも思われぬ」。寒い雪の日の夕ぐれと暖かい家庭との暗黙の取り合わせによる、庶民的幸福の情景。句の主題は、ここにあるような気がする。『古句を観る』(1984・岩波文庫)所載。(清水哲男)


December 17122005

 母すこやか蕪汁大き鍋に満つ

                           目迫秩父

語は「蕪汁(かぶらじる)」で冬。この季節、霜にあたった蕪(かぶ)は甘みが出て美味である。それを味噌汁仕立てにしたのが「蕪汁」だと、どんな歳時記にも書いてある。しかし、私の子供のころに母が作ってくれたのは「すまし汁」だった。母の実家の流儀なのか、あるいは味噌が潤沢にはなかったせいなのか、それは知らない。畑で蕪は山ほど穫れたので、とにかく冬には来る日も来る日も蕪汁だった。すなわち風流とも風趣とも関係のない、貧乏暮らしの果ての汁物だったわけだが、子供のくせに私は蕪の味が好きだったから、けっこう喜んで食べていた。ご飯にざぶっとかけて食べても、なかなか良い味がした。こう書いていると、ひとりでに当時の味を思い出す。それほど頻繁に、食卓に上っていたということである。掲句もおそらくは、そうした子供の頃の思い出が詠まれているのだろう。「母すこやか」とわざわざ書き記すのは、現在とは違って、母が元気だったころのことを言いたいがためである。母がとても元気で、大きな鍋では蕪がいきおいよく煮立てられていて、思い返してみれば、我が家はあの頃がいちばん良い時期だったなあと詠嘆している。当時は気がつかなかったけれど、あの頃が我が家の盛りだった……と。誰にでも、こうした思い出の一つや二つはあるにちがいない。料理としては地味な「蕪汁」を、それもさりげなく詠んでいるので、逆に読者の琴線にぴりりと触れてくるのである。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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