今年の言葉は「郵政民営化」(ワード・オブ・ザ・イヤー2005)。五年経ったら後悔語。




2005ソスN11ソスソス16ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 16112005

 水風呂に戸尻の風や冬の月

                           十 丈

語は「冬の月」。この寒いのに「水風呂」に入るとは、なんと剛胆な人かと驚いたが、いわゆる「みずぶろ」ではなかった。柴田宵曲の解説を聞こう。「水風呂というのはもと蒸風呂に対した言葉だ、という説を聞いたことがある。橋本経亮などは、塩浴場に対する水浴場ということから起こったので、居風呂(すえふろ)という名は誤だろうといっている。いずれにしても現在われわれの入るのは水風呂のわけである。この句もスイフロで、ミズブロではない」。そうだろうなあ、いくらなんでもねえ。だとしても、寒そうな入浴だ。たてつけが悪いのか、風呂場の「戸尻(とじり)」が細く透けている。そこから冷たい冬の風が吹き込んできて、煌煌と照る月も見えている。冬の月は秋のそれよりも美しいとはいうけれど、この場合に風流心などは湧いてこないだろう。寒い思いが、いや増すだけである。昔の冬の入浴は、楽ではなかったということだ。と言いつつも、実は私の心には、この程度ではまだ極楽だなという思いはある。というのも、田舎にいたころの我が家の風呂には、戸尻の隙間どころか、屋根も壁もなかったからだ。まさに、野天風呂であった。夏など気温の高い季節ならともかく、冬には往生した。雪の降るなか、傘をさして入ったこともある。寒風に吹きさらされての入浴などはしょっちゅうで、あれでよく風邪をひかなかったものだと、我がことながら感心してしまう。「あおぎ見る星の高さや野天風呂」。当時の拙句であるが、まったく切迫感がない。温泉にでもつかっている爺さんの句のようで、いやお恥ずかしい。柴田宵曲『古句を観る』(1984・岩波文庫)所載。(清水哲男)


November 15112005

 重ね着の中に女のはだかあり

                           日野草城

語は「重ね着」で冬。寒いので、何枚も重ねて着ること。暖房の不完全な時代の寒さしのぎには、とりあえずこれしかテがなかった。掲句はそんな重ね着姿の女性を目にして、咄嗟にできたのだと思う。頭の中で、こねくりまわした句ではない。でも当たり前じゃないか、などとは言うなかれ。重ね着であろうがなかろうが、何をどう着てても「中に女のはだか」はあるのだけれど、しかし作者は重ね着だからこそ「はだか」を感じているのである。というのも、重ね着はさして人目を気にしない無造作な着方だからだ。ファッションもコーディネートもあらばこそ、とにかく寒いので、そこらへんのものを着込んでしまう。傍目からは、もうモコモコ状態である。きちんと着たときには、衣服は身体そのものと化すが、モコモコのときの衣服は身体とは遊離して見えてしまう。つまり衣服は衣服として、「はだか」は「はだか」として別々の存在と写るわけだ。モコモコだと、これはもうズボッと簡単に抜けてしまいそうに思われる。だから咄嗟の印象が、はだかにつながったと読むべきだろう。着込めば着込むほどに、かえって「中のはだか」を意識させるところが面白い。加えて、着込んだ当人にその自覚がまったくないところが、ますます面白い。人間心理の綾とでも言うべきか。世の中、誰が何をどう見て何を感じているのか。油断もスキもあったものではない。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


November 14112005

 目薬に冬めく灯り校正室

                           小沢信男

語は「冬めく」。風物がすっかり冬になっわけではないが、五感を通してそこはかとなく感じられる冬の気配を言う。掲句の「冬めく」は、まさにこの本意にぴったりの使い方だ。雑誌の編集者は最後の追い込み段階になると、印刷所にある「校正室」に出かけていく。昔の印刷所は二十四時間稼働していたので、編集者側も徹夜で校正することが多かった。なにしろ長時間、原稿とゲラ刷りをにらんでの仕事だから、よほど目の良い人でも、そのうちにしょぼしょぼしてくる。そんなときには、とりあえず「目薬」をさす。この句は、目薬をさしたすぐ後の印象を詠んだものだろう。さしたばかりの目薬が目に馴染むまでの数秒間ほど、あたりのものがぼやけて写り、なかで「灯り(あかり)」はハレーションを起こして滲んで見える。このときに作者は、その灯りにふっと冬の気配を感じたというわけだ。電灯などの灯りに季節ごとの変化などないはずなのに、そこに「冬めく」雰囲気を感じるというのは、五感の不思議な働きによるものである。また、編集者体験のある人にはおわかりだろうが、この句のさらなる魅力は、根を詰めた仕事から束の間ながら解放されたときの小さな安らぎを描いている点だ。まことにささやかながら、こんなことでも気分転換になるのが校正というものである。校正で大事なことは、原稿の意味を読んではいけない。ただひたすらに、一字ずつ間違いがないかどうかをチェックする索漠たる仕事なのだ。だから、目薬も単なる薬品以上の効果をもたらす必需品とでも言うべきか。元編集者としては、実に懐かしい抒情句と読んでしまった。『足の裏』(1998)所収。(清水哲男)




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