七五三。私のときは戦争中だったので、祝いは無し。長い間、千歳飴に憧れていました。




2005ソスN11ソスソス15ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 15112005

 重ね着の中に女のはだかあり

                           日野草城

語は「重ね着」で冬。寒いので、何枚も重ねて着ること。暖房の不完全な時代の寒さしのぎには、とりあえずこれしかテがなかった。掲句はそんな重ね着姿の女性を目にして、咄嗟にできたのだと思う。頭の中で、こねくりまわした句ではない。でも当たり前じゃないか、などとは言うなかれ。重ね着であろうがなかろうが、何をどう着てても「中に女のはだか」はあるのだけれど、しかし作者は重ね着だからこそ「はだか」を感じているのである。というのも、重ね着はさして人目を気にしない無造作な着方だからだ。ファッションもコーディネートもあらばこそ、とにかく寒いので、そこらへんのものを着込んでしまう。傍目からは、もうモコモコ状態である。きちんと着たときには、衣服は身体そのものと化すが、モコモコのときの衣服は身体とは遊離して見えてしまう。つまり衣服は衣服として、「はだか」は「はだか」として別々の存在と写るわけだ。モコモコだと、これはもうズボッと簡単に抜けてしまいそうに思われる。だから咄嗟の印象が、はだかにつながったと読むべきだろう。着込めば着込むほどに、かえって「中のはだか」を意識させるところが面白い。加えて、着込んだ当人にその自覚がまったくないところが、ますます面白い。人間心理の綾とでも言うべきか。世の中、誰が何をどう見て何を感じているのか。油断もスキもあったものではない。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


November 14112005

 目薬に冬めく灯り校正室

                           小沢信男

語は「冬めく」。風物がすっかり冬になっわけではないが、五感を通してそこはかとなく感じられる冬の気配を言う。掲句の「冬めく」は、まさにこの本意にぴったりの使い方だ。雑誌の編集者は最後の追い込み段階になると、印刷所にある「校正室」に出かけていく。昔の印刷所は二十四時間稼働していたので、編集者側も徹夜で校正することが多かった。なにしろ長時間、原稿とゲラ刷りをにらんでの仕事だから、よほど目の良い人でも、そのうちにしょぼしょぼしてくる。そんなときには、とりあえず「目薬」をさす。この句は、目薬をさしたすぐ後の印象を詠んだものだろう。さしたばかりの目薬が目に馴染むまでの数秒間ほど、あたりのものがぼやけて写り、なかで「灯り(あかり)」はハレーションを起こして滲んで見える。このときに作者は、その灯りにふっと冬の気配を感じたというわけだ。電灯などの灯りに季節ごとの変化などないはずなのに、そこに「冬めく」雰囲気を感じるというのは、五感の不思議な働きによるものである。また、編集者体験のある人にはおわかりだろうが、この句のさらなる魅力は、根を詰めた仕事から束の間ながら解放されたときの小さな安らぎを描いている点だ。まことにささやかながら、こんなことでも気分転換になるのが校正というものである。校正で大事なことは、原稿の意味を読んではいけない。ただひたすらに、一字ずつ間違いがないかどうかをチェックする索漠たる仕事なのだ。だから、目薬も単なる薬品以上の効果をもたらす必需品とでも言うべきか。元編集者としては、実に懐かしい抒情句と読んでしまった。『足の裏』(1998)所収。(清水哲男)


November 13112005

 枯園に向ひて硬きカラア嵌む

                           山口誓子

のところ、にわかに冬めいてきた。紅葉が進み、道に枯葉の転がる音がする。季語は「枯園(かれその)」で冬。草も木も枯れた庭や公園を言う。他の季節よりも淋しいが、冬独特のおもむきもある。作者は窓越しにそんな庭を見ながら、{カラア(collar)}を嵌(は)めている。さびさびとした庭に向かってカラーを嵌めていると、首筋に触れるときの冷たさが既に感じられ、それだけで心持ちがしゃきっとするのである。冬の朝の外出は嫌なものだけれど、カラーにはそんな気持ちを振り払わせる魔力がある。というよりも、カラーを嵌めることで、とにかく出かけねばならぬと心が決まるのだ。その意味では、サラリーマンのネクタイと同じだろう。今日この句を読むまでは、カラーのことなどすっかり忘れていた。小学生から大学のはじめまで、ずうっと学生服で通していたにもかかわらず、である。思い出してみると、とにかく句にあるように「硬い」し、それこそ冬には冷たかった。だが不思議なことに、あんな首かせを何故つけるのかという理由は、まったく知らないでいた。一種のお洒落用なのかな(「ハイカラ」なんて言葉もあることだし……)と思ったことはあり、それも一理あるらしいのだが、なによりもまず襟の汚れを防ぐためのものだと知ったのは、カラーに縁が無くなってからのことだった。最近では、ライトにあたると光るカラーが開発されたらしい。真っ黒な学生服で夜道を歩くとドライバーからはよく見えないので、交通安全用というわけだ。なるほどねえ。カラーも、それなりに進化してるんだ。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます