札幌などで昨日初雪。もう北国は冬ですね。東京も日に日に北風が強くなってきました。




2005ソスN11ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 10112005

 蜜柑山の中に村あり海もあり

                           藤後左右

語は「蜜柑(みかん)」で冬。近所の農家の畑に、数本の蜜柑の木がある。東京郊外で、昔は畑ばかりだった土地柄とはいえ、蜜柑の栽培は珍しい。通りかかると、今年もよく実っている。やわらかい初冬の日差しを受けて、黄色い実が濃緑の葉影にきらきらと輝いてい見える様子は、まことに美しい。「全て世は事もなし」、そんな平和な雰囲気に満ちている。心が落ち着く。掲句のように本格的な密柑山は見たことがないのだが、そんなわけで、ある程度の想像はつく。全山の蜜柑に囲まれて「村」があり、しかも「海も」あるというのだから、まるで一幅の絵のようである。この句に篠田悌二郎の「死後も日向たのしむ墓か蜜柑山」を合わせて読むと、それぞれの密柑山は別の場所のものだけれど、そのたたずまいが目に沁みてくる。ところで、我が家の近所に実った蜜柑を一度だけ食べたことがある。昨年の冬だったか。この農家では収穫後に即売をするらしく、ちょうどいま買ってきたところだと言って、近所の煙草屋のおばさんにいくつかもらった。おそらく、紀州蜜柑の系統なのだろう。小ぶりではあったが、とても甘くて美味しかった。今年も即売があるのなら、ぜひ買いたいとは思うのだが、その日については昔からのつきあいのある人にだけ教えるらしい。そりゃそうだ。たいした量が収穫できるわけでなし、即売とはいえ、ほとんどお裾分けに近い値段のようだし……。ま、余所者は黙って指をくわえているしかないだろう。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


November 09112005

 空狭き都に住むや神無月

                           夏目漱石

語は「神無月」で冬。陰暦十月の異称だ。今日は陰暦の十月八日にあたるから、神無月ははじまったばかりである。神無月の起源には諸説があってややこしいが、俳句の場合には、たいていが神々が出雲に集まるために留守になる月という説を下敷きにするようだ。たぶん、掲句もそうだろう。「則天去私」の漱石ならずとも、私たちは神と聞けば天(空)を意識する。一般的な「神、空に知ろしめす」の観念は、古今東西、変わりはあるまい。私のような無神論者でも、なんとなくその方向に意識が行ってしまう。句の漱石も同じように空を意識して、あらためて都の空の狭さを感じている。こんなに「空狭き都」に住んでいると、神無月同様に、普通の月でもさして神の存在を感じられないではないか。これでは、いつだって神無月みたいなものではないのかと、ひねりを効かせた一句だと読める。ここまで読んでしまうのは、おそらく間違いではあろうが、しかし句を何度も頭の中で反芻していると、この神無月が「例月」のように思えてくるから不思議だ。すなわち、神無月の扱いが軽いのである。その言葉に触発されただけで、むしろ重きは空に置かれているからだ。したがって、このときの漱石は「則天去私」ならぬ「則私去天」の心境であった。と、半分は冗談ですが……。その後「東京には空がない」と言った女性もいたけれど、明治の昔から、東京と神との距離は出雲などよりもはるかに遠かったのである。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


November 08112005

 秋鯖に味噌は三河の八丁ぞ

                           吉田汀史

欲の秋にふさわしい句だ。季語は「秋鯖(あきさば)」。鯖(夏の季語)は秋になると脂がのって美味になることから、特別扱いの季語になった。味噌煮だろう。鯖の味噌煮はべつだん珍しくはないけれど、我が家のは「味噌」が違う。なにしろ「三河(現・愛知県岡崎市)の八丁」を使っているのだからと、大いに自賛している。この手放しの無邪気さが、ぐんと読者の食欲を誘い出す。読んだ途端に,食べたくなった。といっても、私は八丁味噌煮の鯖を食べたことがない。だいたいが東京では八丁味噌(赤味噌)をあまり食べないせいもあるけれど、街の店などで八丁を使うにしても、他の味噌とブレンドするケースが多いからではなかろうか。純粋に八丁のみで煮ると、かなり酸味がきつそうである。でもきっと、この酸味が鯖にはしっくりと合うのだろう。などと、あれこれ想像してみるのも、こうした俳句の楽しさだ。ところで、鯖の味噌煮といえば、森鴎外の『雁』に特別な役割で登場する。「西洋の子供の読む本に、釘一本と云う話がある。僕は好くは記憶していぬが、なんでも車の輪の釘が一本抜けていたために、それに乗って出た百姓の息子が種々の難儀に出会うと云う筋であった。僕のし掛けたこの話は、青魚(さば)の未醤煮(みそに)が丁度釘一本と同じ効果をなすのである」。『雁』の語り手である「僕」の下宿の夕食に、たまたま鯖の味噌煮が出たために、物語は思わぬ方向へと……。読書の秋です。気になる方は、文庫本でどうぞ。俳誌「航標」(2005年11月号)所載。(清水哲男)




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