パリ郊外騒乱収拾つかず。植民地支配感覚が抜けないフランスは世界有数の警察国家だ。




2005ソスN11ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 07112005

 立冬の病みて眩しきものばかり

                           荒谷利夫

や、「立冬」。暦の上では、今日から冬です。俳句と無縁な人なら「へえっ」程度ですませてしまうところだろうが、実作者にとっては、しばらく悩ましい日がつづく。体感的に秋でもあり冬でもありと曖昧で、なんとかしてくれと言いたくなってしまう。東京あたりでは、まだ紅葉も見られないというのに……。ところで、天気予報によれば、今日の東京地方は雨のち晴れで、日中の最高気温は26度にもなるという。これでは、秋でも冬でもなく夏である。だが、たとえ夏日になろうとも、季語にこだわる人はやはり冬に対して身構える気持ちにはなるだろう。たとえば風景のどこかに、暗くて寒い冬到来の予兆を嗅ぎ取ったりするだろう。すなわち、今日の心はいくぶん暗鬱なほうへと傾斜してゆく。けれども、それは健康者だからなのであって、病者は違うということを掲句が示している。病身の作者の目は、立冬らしく表に木枯しが吹き荒れていようとも、そこに自然の生命の躍動を覚えて眩(まぶ)しさを感じるというわけだ。何を見ても、自分の病いに比べれば暗いものはなく、素直に「眩しきものばかり」と言えるのである。話はずれるが、年齢的に私はたぶん、人生の立冬くらいのところにいるのではなかろうか。病気とは関係なく、そんな人生の立冬にある目からしても、これまた「眩しきものばかり」の世界を意識せざるを得ない。どんなに馬鹿な(大いに失礼)ガキどもを見ても、みんなキラキラと輝いて見えるようになってきた。やれやれ、である。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


November 06112005

 掌にひたと吸ひつく竹を伐る

                           大島雄作

語は「竹(を)伐る」で秋。昔から「竹八月に木六月」と言い、陰暦の八月が竹、六月が木の伐採の好期とされ、陽暦では九月以降今頃くらいまでが竹の伐り時だ。少年時代、田舎にいたころは、竹はそこらへんにふんだんに生えていたから、何かというと伐ってきて使った。むろん所有者はいたはずだけれど、子供が一本や二本くらい伐るぶんには、黙認されていたようだ。近所の柿や栗を勝手に取って食べても、叱られなかったのと同じことである。釣り竿や山スキーの板、ちゃんばらごっこの刀身や野球のバット、小さい物では凧作りに使うヒゴだとか水鉄砲や竹笛用など。で、掲句を読んで、途端に久しく忘れていた生きた竹の感触を思い出した。懐かしや。句にあるように、たしかに生きている竹は、握ると「掌にひたと吸ひつく」のである。どういうことからなのか、理由は知らない。とりわけて寒い日などには、冷たい竹がひたと吸いつくことを知っているから、握る瞬間にちょっと躊躇したりした。仕事で大量に伐採する大人なら軍手をはめるところなのだが、子供にそんな洒落たものの持ち合わせは無い。ひんやりと吸いついてくる感触を嫌だなと思いながら、鉈をふるったものである。作者もまた、素手で握っている。だから伐ることよりも、吸いついてくる感触にまず意識がいっているわけだが、こう詠むことで、このときの山の生気までがよく伝わってくる。頭では作れない句の典型だろう。『鮎笛』(2005)所収。(清水哲男)


November 05112005

 母よりの用なき便り柿の秋

                           西山春文

語は「柿」で秋。「柿の秋」とあるが、この「秋」は季節を表すのではなく、旬の時期(収穫期)という意味だ。故郷の母親から封書が届いた。一瞬ぎくりとして、何事ならんと読んでみると、特別な用事もない便りだったので、ほっとしている。母の伝える近況や田舎の様子を読んでいるうちに、自然に懐かしくよみがえってきたのは、たわわに実をつけた柿の木のある風景だった。作者は、いわばその原風景からそこで暮らした日々のことなどを思いだして、しばし懐旧の念にふけったのだろう。これが「用ある便り」だったとしたら、そうはいくまい。「用なき便り」の効用である。最近は電話もあるので「用なき便り」も減ってきたとは思うけれど、しかし電話でよしなしごとを長時間しゃべれるのは母娘の間に限られるようで、母と息子が「用なき」長電話をする図はちょっと考えられない。何故なのかはよくわからないが、とにかく昔から男は肉親に対してあまり口をきかないものと相場が決まっているのだ。だから、句の母も「用なき便り」にしたわけである。かくいう私も例外ではなく、母から電話をもらっても三分ともたない。手紙が来てもなかなか返事を出さず、内心で「便りのないのは良い便りと言うじゃないか」とうそぶいたりしている。実にけしからん不肖の息子である。『創世記』(2003)所収。(清水哲男)




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